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村井正誠 むらいまさなり

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百科事典マイペディアの解説

村井正誠【むらいまさなり】

画家。岐阜県生れ。文化学院在学中に二科展出品。1928年から1932年まで滞欧し,同時代の美術を吸収するほか,パリのアンデパンダン展にも出品。1937年自由美術家協会結成に参加。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村井正誠 むらい-まさなり

1905-1999 昭和-平成時代の洋画家。
明治38年3月29日生まれ。昭和9年長谷川三郎らと新時代を結成。自由美術家協会モダンアート協会などの創立にくわわる。29年武蔵野美大教授。37年現代日本美術展で「黒い線」などが最優秀賞。抽象絵画草分けひとりとして活躍。平成11年2月5日死去。93歳。岐阜県出身。文化学院卒。作品にシリーズ「URBAIN」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

村井正誠
むらいまさなり
(1905―1999)

洋画家。岐阜県生まれ。幼時に一家は和歌山県に移る。1922年(大正11)和歌山県立新宮中学校卒業後、上京して文化学院美術科入学。在学中から二科展に出品。1928年(昭和3)同院を卒業して渡仏、抽象絵画の洗礼を受ける。32年帰国。抽象的な作品を手がける同志と新時代洋画展を発足させ、このグループをもとに37年抽象美術系の作家を多数集めた自由美術家協会を創立。第二次世界大戦終戦直後の美術団体再編のなかで、50年(昭和25)にモダンアート協会を結成、以後同会の中心として活動。翌年第1回サン・パウロビエンナーレ展に出品。55年の日本国際美術展で佳作賞、62年には現代日本美術展で最優秀賞、東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞を受賞。その他、国内外での主要な美術展への招待、受賞を重ねる。文化学院、武蔵野(むさしの)美術大学で後進を指導、日本美術家連盟理事長も務めた。95年(平成7)1~7月、村井正誠展が神奈川県立近代美術館、大原美術館、岐阜県美術館、富山県立近代美術館、和歌山県立近代美術館を巡回する。日本の抽象絵画の先駆者の一人であり、色彩とフォルムのさまざまな組合せの追求のなかにも、一貫して洗練された明快さとダイナミックな力強さを兼ね備えていた。[小倉忠夫・柳沢秀行]
『村井正誠作品集刊行委員会編『村井正誠作品集』(1974・美術出版社) ▽『村井正誠画集』(1990・用美社) ▽神奈川県立近代美術館ほか編『村井正誠展カタログ』(1995・東京新聞)』

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