日本大百科全書(ニッポニカ) 「村井正誠」の意味・わかりやすい解説
村井正誠
むらいまさなり
(1905―1999)
洋画家。岐阜県生まれ。幼時に一家は和歌山県に移る。1922年(大正11)和歌山県立新宮中学校卒業後、上京して文化学院美術科入学。在学中から二科展に出品。1928年(昭和3)同院を卒業して渡仏、抽象絵画の洗礼を受ける。32年帰国。抽象的な作品を手がける同志と新時代洋画展を発足させ、このグループをもとに37年抽象美術系の作家を多数集めた自由美術家協会を創立。第二次世界大戦終戦直後の美術団体再編のなかで、50年(昭和25)にモダンアート協会を結成、以後同会の中心として活動。翌年第1回サン・パウロ・ビエンナーレ展に出品。55年の日本国際美術展で佳作賞、62年には現代日本美術展で最優秀賞、東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞を受賞。その他、国内外での主要な美術展への招待、受賞を重ねる。文化学院、武蔵野(むさしの)美術大学で後進を指導、日本美術家連盟理事長も務めた。95年(平成7)1~7月、村井正誠展が神奈川県立近代美術館、大原美術館、岐阜県美術館、富山県立近代美術館、和歌山県立近代美術館を巡回する。日本の抽象絵画の先駆者の一人であり、色彩とフォルムのさまざまな組合せの追求のなかにも、一貫して洗練された明快さとダイナミックな力強さを兼ね備えていた。
[小倉忠夫・柳沢秀行]
『村井正誠作品集刊行委員会編『村井正誠作品集』(1974・美術出版社)』▽『『村井正誠画集』(1990・用美社)』▽『神奈川県立近代美術館ほか編『村井正誠展カタログ』(1995・東京新聞)』