日本大百科全書(ニッポニカ) 「村掟」の意味・わかりやすい解説
村掟
むらおきて
室町時代の中期以降から江戸時代にかけて、村落において村民生活を規制する目的で作成された法。地下掟(じげおきて)ともいう。中世では定(さだめ)、置文(おきぶみ)、置目(おきめ)などともよばれ、近世では村議定(むらぎじょう)、村申合(むらもうしあわせ)、村規定(むらきてい)、村極(むらぎめ)と称されることもある。中世の村掟は、自らの村落生活を維持し、外部からの支配や侵略に抵抗するためや、特権を維持する目的で作成されることが多く、したがって村落成員が連判するなど、相互規定的側面が強かった。これに対して、江戸時代の村掟は、主として村落内部の秩序を維持する目的で作成され、村落成員が連判して村役人にあてた差出し証文的な性格をもつものも多い。中世のものでは1489年(延徳1)の近江今堀地下掟(おうみいまぼりじげおきて)が有名であるが、江戸時代の村掟は多数残されており、その内容も多岐にわたっている。その規定の内容を概略的にみると、江戸時代初期のものは、村の寄合のもち方、入会地(いりあいち)の利用権に関する規定、水利権に関するものなど、日常の生産や生活に関する具体的な問題を規定したものが多い。したがってこの段階の村掟は、その村落の抱えている問題を知るための史料として重要である。ところが、江戸時代の後期になると、倹約や博奕(ばくち)、盗人、火の番といった風俗取締りや年貢納入期限の厳守など村内秩序の維持を目的とした規定が多くなる。また、幕末になると、道徳的訓戒を抽象的に規定したもので、具体的な規定を含まないものが出てくる。なお、これらの村掟には、規定に違反した場合に過料銭を出すことを定めたものや、日常的な交際を止める「村ハチブ」の取扱いにすることを規定したものもある。
[黒川直則]