日本大百科全書(ニッポニカ) 「来島又兵衛」の意味・わかりやすい解説
来島又兵衛
きじままたべえ
(1817―1864)
幕末期長州藩の尊王攘夷派の指導者。喜多村正倫の第二子として生まれ、のち来島政常の養子となる。槍・剣・馬術などの達人で鬼来島と称せられた。一方で藩の経理面の役職を歴任し、文武ともに傑出していた。1863年(文久3)5月下関における外国船砲撃戦で活躍し、6月には狙撃隊を率いて上京。八月十八日の政変の後も京都に潜入していたが、9月に帰藩した。京都における長州藩政治勢力回復のため世子(せいし)毛利元徳が上京するにあたり、10月遊撃隊を編成し、総督となった。強硬な京都進発論を説き、翌年6月、遊撃軍を率いて京都に攻め上った。7月19日の蛤(はまぐり)御門(禁門)の変で薩摩藩兵と戦い戦死した。
[三宅紹宣]
『三原清堯著『来島又兵衛伝』(1963・来島又兵衛翁顕彰会)』▽『瓜生等勝編著『新資料来島又兵衛文書』(1984・西円寺)』▽『瓜生等勝編著『続新資料来島又兵衛文書』(1997・西円寺)』