西円寺(読み)さいえんじ

日本歴史地名大系 「西円寺」の解説

西円寺
さいえんじ

[現在地名]御坊市湯川町富安

松谷山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来本願寺三世覚如時代の開基と伝え、もと高家たいえ(現和歌山県日高町)にあったが廃寺となり、寺号・本尊などが大正一四年(一九二五)当地寺院に引継がれ、現在の西円寺が成立した。「続風土記」は西円寺について「蓮如上人当郡に来りて当寺の門徒を勧めし時の名帳といふ一巻あり」と記す。この名帳は、現在和歌山県由良町衣奈えな西教さいきよう寺に蓮如筆六字名号および伝蓮如の杖、「西円寺旧記」とともに保存される一向専修念仏名帳をさす。


西円寺
さいえんじ

[現在地名]長門市仙崎

青海おうみ大日比おおひび浦の北側六浦むつらの地にあり、浄土宗。本尊阿弥陀如来。

往古、本慶山天竜院西円寺と称した真言宗の寺院で大日比浦の商人あきんどの地にあったと伝える。寺蔵の文書中に寛正三年(一四六二)二月九日付のものがあり、「大津郡深河庄天竜院領大日比御堂」とある。

その後天文(一五三二―五五)の頃には廃退して無住が続いたので、観音かんのんという地の観音堂に本尊阿弥陀如来・脇士観世音菩薩・勢至菩薩像その他を移し、さらに末庵に移した。


西円寺
さいえんじ

[現在地名]田原町野田 神成

野田のだの北部、木落きおとし山の麓に南面する。白雲山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。境内一千六一五坪。初めは正応年間(一二八八―九三)比留輪ひるわ山の原に草庵を結び西光さいこう寺と称したという。応永年間(一三九四―一四二八)兵乱によって八王子はちおうじ(現渥美町)へ移った。当時は天台宗であったが、寛正二年(一四六一)正順という僧が如光の勧誘によって蓮如に謁して真宗に改宗した(田原町史)


西円寺
さいえんじ

[現在地名]大垣市草道島町

草道島そうどうじま町の中央に位置し、真宗大谷派に属する。得生山と号し、本尊は阿弥陀如来。「天文日記」天文六年(一五三七)二月一五日条に性顕しようけん(現安八郡神戸町)などとともに寺名がみえる。当寺の由緒書によれば、弘仁二年(八一一)最澄の創建で天台宗であったが、永仁年間(一二九三―九九)覚如が当寺に立寄った際に改宗。文明五年(一四七三)蓮如は親鸞・蓮如連座の御影像を下付、裏書に「大谷本願寺親鸞聖人御影 美濃国安八郡平野庄 草道嶋西円寺常住物也」とある。


西円寺
さいえんじ

[現在地名]婦中町小泉

小泉こいずみ集落西端の字宮前みやのまえにある。白鳥山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。承和元年(八三四)京都東寺の実慧(弘法大師の弟子)により白鳥しらとり神社の別当寺として友坂ともさか村に創立され真言宗であったが、文明七年(一四七五)蓮如の越中国化導のとき住僧円空が浄土真宗に改宗した。天正年間(一五七三―九二)後陽成院の宸翰一軸(本願寺の点検書あり)が当寺に下された。その後佐々・前田両家の抗争の際、当寺金乗坊の了鉄が佐々側に属したため兵火を被り、多数の宝物や由緒を焼失した。


西円寺
さいえんじ

[現在地名]美祢市西厚保町本郷 沓野

法皇山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。

寺伝によれば、開基は九州探題大友家の末葉で、豊前国築城ついき(現福岡県築上郡)領主であった瓜生日向守で、故あって所領を離れ、永正(一五〇四―二一)の頃長門国に来り、天文一六年(一五四七)当寺を建立したとあるが、もとこの寺地には、厚狭あさ末益すえます(現山陽町)正法しようぼう寺の一二坊の一、暁泉ぎようせん坊があったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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