日本大百科全書(ニッポニカ) 「東京芸術座」の意味・わかりやすい解説
東京芸術座
とうきょうげいじゅつざ
劇団名。1959年(昭和34)2月創立。村山知義(ともよし)らの第二次新協劇団と、共産党の内部対立のため1951年にそこから脱退していた薄田研二(すすきだけんじ)らの中央芸術劇場とが再統一し発足した。旗揚げ公演は村山作・演出『終末の刻(とき)』で、薄田が主演。ほかに倉田地三(1917―2005)、左右田(そうだ)一平(1930― )、清洲すみ子(1914―97)、関京子(1924―2007)らが主軸の俳優として活躍。村山の創作劇・演出を基調に、「社会主義リアリズム」を指導理念として社会の矛盾を告発する大衆性を帯びた作品を上演してきたが、薄田、とくに村山の死(1977)を迎え、劇団の再構築が課題となった。その課題に対し、一方では、『国定忠治(くにさだちゅうじ)』『忍びの者』『ラインの監視』『蟹工船(かにこうせん)』など村山が創作・脚色・翻訳・演出などの諸分野で手がけた作品を受け継ぎ、系統的に上演することで応え、他方では、そこにとどまらず、演目の幅を広げることで対応した。たとえばレジナルド・ローズ『12人の怒れる男たち』はその代表的な一例で、再演を重ね、高校公演を中心として全国を巡演している。また『橙色の嘘(だいだいいろのうそ)』などの平石耕一(1955― )のように、村山没後に入団した新しい劇作家や演出家、荒木かずほ(1949― )ら若い俳優陣も育ち、社会の民主的な改革と演劇創造の統一を志す劇団として演劇界で貴重な位置を確保している。
[祖父江昭二]
『野々村潔著『新劇運動回想』(2001・芸団協出版部)』