劇団名。1934年左翼劇場の解散など,弾圧を受けるプロレタリア演劇運動の危機のなかで,新劇団の大同団結を提唱する村山知義(ともよし)の呼びかけに応じ,旧左翼劇場のメンバーを中核に新築地劇団からの参加者も加えて組織された。文芸・演出部の村山,久保栄(さかえ)を中心に,滝沢修,小沢栄太郎,細川ちか子(1905-76),三島雅夫(1906-73)らの演技陣によって,島崎藤村原作《夜明け前》,久保栄作《火山灰地》,久板(ひさいた)栄二郎作《北東の風》,真船(まふね)豊作《遁走譜(とんそうふ)》など社会主義リアリズムの力作を次々に上演し,第2次世界大戦前の新劇活動において一時期を画したが,40年8月19日,関係者の一斉検挙にあい,国家権力により強制的に解散させられた。
第2次大戦後,村山が再建にのりだし,46年2月には再建第1回公演を持った。薄田(すすきだ)研二,八田元夫(1903-76)のほか,新派の井上正夫も一時期これに参加した。しかし〈50年問題〉といわれる共産党の内部抗争の影響を受け,1951年薄田,岡田英次ら演技陣の大量脱退者が出るにおよんで弱体化し,59年に薄田らの中央芸術劇場と合体して東京芸術座となった。
執筆者:石沢 秀二
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劇団名。弾圧のためプロット(日本プロレタリア演劇同盟)の活動が困難になるなかで、中央劇場(左翼劇場改称)の大半に新築地(つきじ)劇団の一部と美術座員が加わり、1934年(昭和9)9月結成。旗揚げ公演は『夜明け前』第1部。秋田雨雀(うじゃく)、村山知義(ともよし)、久保栄(さかえ)、杉本良吉、久板栄二郎(ひさいたえいじろう)、滝沢修(おさむ)、小沢栄、松本克平(かっぺい)、三島雅夫(まさお)、細川ちか子、赤木蘭子(らんこ)、原泉子(せんこ)らが参加し、久板作『北東の風』、久保作『火山灰地』などの創作戯曲、『ファウスト』『群盗』『どん底』などの外国の古典的遺産を上演し、戦前新劇の芸術的頂点と文化面での反ファシズムの最大の抵抗線とを形成した。しかし40年8月主要メンバーは治安維持法違反の容疑で検挙、解散を強いられた。46年(昭和21)村山を中心に再建。すでに東京芸術劇場を結成していた久保、滝沢らは参加せず、その後共産党の「50年問題」により分裂し、戦前に比し見劣りがした。59年、分裂した薄田研二(すすきだけんじ)らの劇団中芸(中央芸術劇場改称)と再統合し、新発足した東京芸術座に発展的に解消した。
[祖父江昭二]
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… 築地座は1936年2月に解散にいたるが,それが母体となって翌37年9月,〈文学座〉が結成される。この文学座は,戦前の日本新劇史における一方の潮流の到達点であるが,当時の政治状況下にあって,新協劇団や新築地劇団のような直接的な反体制的活動は行わずに,もっぱら市民生活者の心情を心理主義的写実性によって描くことにより,単独劇団としては唯一,弾圧を免れ,戦時中もその活動を許されていたのであった。 このような文学座に集約される流れに対し,国家権力と戦いながら反体制的態度を貫く一群の新劇活動も強力に展開された。…
※「新協劇団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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