東南アジア芸能(読み)とうなんあじあげいのう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東南アジア芸能」の意味・わかりやすい解説

東南アジア芸能
とうなんあじあげいのう

東南アジア諸国の芸能は、古くは中国やインドの文化、また近世に入ってはフィリピンにおけるキリスト教マレーシアインドネシアにおけるイスラム教といったように、さまざまな宗教的、文化的影響を受容しながら、長い年月の間にそれぞれ独特の展開を示してきた。それらの芸能は、世界の諸芸能にみられるように、音楽、舞踊演劇さらには文学的要素を色濃く内包する。今日明確に古典芸能として定着するものは、古代インドの叙事詩ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』に取材して、しかもそれぞれの国独自に変容し自家薬籠(やくろう)中のものとした諸芸能である。これとは関係のない民俗芸能も小規模ながら星の数ほども各地に散在して独自のきらめきをみせるが、主流をなすものはあくまでもこの二大叙事詩に由来すると考えられる。なお仏教説話は、芸能の素材としてはほとんど展開をみせなかった。芸能の形態としては、舞踊劇と人形劇が出色の構成をみせ、舞踊劇には仮面を使用するものがあり、人形劇には影絵芝居木偶(でく)人形芝居その他多様な種類がある。

[松本 亮]

インドネシア

ジャワ島とバリ島はことに東南アジア民俗芸能の宝庫といってよい。ここで注意しなければならないのは、両者の宗教の相違による芸能の異質性である。ジャワはかつて仏教とヒンドゥー教を奉じ、今日ではイスラム教を受容して、しかもこれらのすべてをない交ぜた、いわばジャワ教とでもいうべき宗教的地盤にたち、その芸能もこの精神的背景を強烈にもっている。それに対してバリは従来からのヒンドゥー教の世界である。

 ジャワの民俗芸能の中核をなすのは影絵芝居「ワヤン・クリ」wayang kulitである。これは単に民俗芸能であるというよりは、その語りの高度な文学性、伴奏ガムランの緻密(ちみつ)なリズムと旋律、人形の精緻(せいち)きわまる細工などにおいて、長くジャワの人々の精神文化の中枢をなしてきた(その記録は10世紀にさかのぼる)。初め東部ジャワにみられたワヤン・クリは、14、15世紀以降浸透したイスラム教を嫌って逃避したジャワの貴族たちによってバリへ移され、今日のバリのワヤン・クリの源流が築かれた。しかしジャワの場合には、その後の社会変動、ことにイスラム教の定着とオランダの植民政策に伴うジャワの諸王室の対応によって激しく変貌(へんぼう)を重ね、さらには多くの芝居を派生させた。ワヤン・クリには、インドの二大叙事詩に取材した本来の形のワヤン・プルウォのほかに、ジャワの英雄譚(たん)『パンジ』に取材したワヤン・ゲドクをはじめとする10余種がある。また、絵巻を繰りながら『パンジ』を語る「ワヤン・ベベル」wayang beber、同じく『パンジ』に取材した仮面劇「ワヤン・トペンwayang topeng、中国の指人形芝居からヒントを得てインドの二大叙事詩やペルシアからの物語『メナク』に取材した木偶人形芝居「ワヤン・ゴレ」wayang golek、ジャワの英雄譚『ダマル・ウラン』に取材して扁平な板人形を使用する「ワヤン・クリティ」wayang klitik、さらにはインドの二大叙事詩に取材して俳優により歌舞伎(かぶき)風に演じられる「ワヤン・オランwayang orangなどがそれである。しかし今日ではワヤン・クリのうちのワヤン・プルウォ、そしてワヤン・オランが常時盛況を保ち、ワヤン・ゴレがこれに次ぎ、ほかは影が薄く、上演されないものもある。これらのうち人形芝居は、人形師「ダラン」がただ1人ですべてを語り、すべての人形を操作し、伴奏ガムランの音を引き出す役割を受け持つ。ワヤン・トペンではダランは語りと音楽、またワヤン・オランでは音楽と語りのきっかけだけを受け持つ形で物語を進行させる。

 17世紀に入ってジャワ最古の宮廷舞踊「ブドヨ」bedayaが現れた。中部ジャワの王家とジャワの南の海底に住む女王にまつわる伝説による舞踊「ブドヨ・クタワン」をもっとも神聖なものとし、以後多くの物語を内容とするものがつくられた。9人または7人の女性による踊りである。かつては王宮に秘められて公開されることはなかった。またこれと同格であった舞踊に「スリムピ」srimpiがある。物語の多くはペルシアに由来し、4人の女性で踊られる。18世紀には、『ダマル・ウラン』に取材して女性が男役も演じるオペラ形式の「ランエンドリヨ」がつくられた。近代になって創作された舞踊は限りなくあるが、代表的なものに『パンジ』に取材した男性の1人踊り「クロノ・トペン」、優雅を主題とする女性4人あるいは2人の踊り「ガムビヨン」、また自らに酔う女性の1人踊り「ゴレ」などがある。そのほか、中部ジャワのプランバナン寺院を背景とする広大な野外劇場で4晩を通じて踊られる「ラーマーヤナ・バレエ」の一大スペクタクルが1960年代につくられ、今日では創作舞踊も盛んである。

 バリ芸能の花は舞踊である。その白眉(はくび)は「レゴン・クラトン」legong kratonである。一般にジャワ舞踊の典雅で緩やかな動きに比べると、バリ舞踊の動きはきわめて激しく、首と目の動きに特徴があって、それを代表するのがこの踊りである。初経(初潮)前の3人の少女によって踊られ、『パンジ』物語の一節を主題とする。バリの聖山アグン山に住むとされる魔女神ランダの魔除(まよ)けを内容とする著名な舞踊劇「バロン」barong、「チャロナラン」calonarangなどはヒンドゥーの物語と土俗神の結合による伝統の重みを伝える。また、ほかのすべての芸能がガムランを伴奏とするのに対し、100人を超える男性コーラスにより迫力をみせる踊り「ケチャ」kecakがある。ほかに、大ぜいで踊る「ジャンゲル」、古い伝統をもつ『パンジ』による舞踊劇「ガムブ」「アルジャ」、また「ラーマーヤナ・バレエ」など枚挙にいとまがないが、その物語のほとんどはジャワから伝わったものである。

 ヨーロッパとの交流関係についていえば、1855年のパリ万国博覧会以降、博覧会ごとにオランダがとくにジャワやバリの諸文化・諸芸能の紹介を始め、しだいに膨らんで1931年に大々的な国際植民地博覧会がパリで開催された。ジャワやバリのガムラン音楽はフランスの作曲家ドビュッシーやジョリベの作品に影響を与えたとされ、またアルトーの演劇論に大きく影を落としている。一方、1930年代に入って、ドイツの画家バルター・シュピースWalter Spies(1895―1942)がバリに住み着いて、「ケチャ」を西欧からの観光客のため創案するなど、バリの諸芸能や絵画のあり方に大きな影響を示した。

[松本 亮]

タイ

この小乗仏教国を代表する古典舞踊劇「コーン」khonの内容は、ヒンドゥー教の聖典でもある『ラーマーヤナ』である。魔王や猿たちは頭からすっぽりかぶる仮面をつけるが、主人公の王子、王女らは仮面をつけず、塔状の冠をつける。この物語がなんらかの形で最初に上演されたのは、17世紀後半、当時の影絵芝居「ナン」のうちにうかがえるとされる。タイ化された『ラーマーヤナ』は18世紀末に欽定(きんてい)詩編『ラーマキエン』として成立した。以来コーンは伝統的な宝飾の豪華な扮装(ふんそう)とともに宮廷舞踊劇として発達し、創作舞踊的要素をもつ「ラコーン」lakonとともに妍(けん)を競っている。いずれもその動きはきわめて緩やかである。

[松本 亮]

カンボジア

タイで発達したコーンはもとクメール王国(カンボジアの古名)に由来するものである。11~12世紀に最盛期を迎えた強大なクメール王国はアンコール・ワットその他の諸建造物群を残し、以後隣国タイまたベトナムの侵食を受けて衰退した。それにつれて今日アンコールの浮彫り群にみられる踊り手や楽器奏者などから推定される舞踊も影を潜め、やや形を変えたタイの舞踊に吸収されてしまった。アンコールの伝統を、相次ぐ負け戦と内乱のうちに見失ったカンボジアは、19世紀初頭に至って、タイ人の舞踊指導者をカンボジアの王宮に招き、タイのそれらを逆輸入した。以来この国の古典舞踊はタイ舞踊の様式を踏襲している。

[松本 亮]

ミャンマー(ビルマ)

代表的な芸能に舞踊劇「ザット・プーエ」zat pweがある。やはり『ラーマーヤナ』に取材したもので、ビルマ仏教の強い影響下に、ラーマ王子は仏陀(ぶっだ)的扱いとなっている。

 以上のほか、各国に共通する「バンブー・ダンス」など、おびただしい民俗舞踊、宗教儀礼のための舞踊が各地で盛んに行われている。

[松本 亮]

『松原晩香著『南方の芝居と音楽』(1943・誠美書房)』『榊原帰逸著『アジアの舞踊』(1965・わせだ書房新社)』『松本亮著『マハーバーラタの蔭に』(1982・ワヤン協会)』『ミゲル・コバルビアス著、関本紀美子訳『バリ島』(1991・平凡社)』『宮尾慈良著『アジア演劇人類学の世界』(1994・三一書房)』『関本照夫・船曳建夫著『国民文化が生れる時――アジア・太平洋の現代とその伝統』(1994・リブロポート)』『広田律子編『アジアの仮面――神々と人間のあいだ』(2000・大修館書店)』『エイドリアン・ヴィッカーズ著、中谷文美訳『演出された「楽園」――バリ島の光と影』(2000・新曜社)』


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