東軍流(読み)トウグンリュウ

デジタル大辞泉 「東軍流」の意味・読み・例文・類語

とうぐん‐りゅう〔‐リウ〕【東軍流】

剣術流派の一。川崎鑰之助かわさきかぎのすけ東軍僧正などに学んで創始し、江戸初期に5世の孫川崎(東軍)二郎太夫が江戸に道場を開き広めたという。

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精選版 日本国語大辞典 「東軍流」の意味・読み・例文・類語

とうぐん‐りゅう‥リウ【東軍流】

  1. 〘 名詞 〙 近世の剣術の流派の一つ川崎鑰之助時盛が父の越前朝倉氏家臣川崎新九郎時定に鞍馬八流と、また、比叡山の東軍権僧正の刀術を習得して創始したという。四世の川崎(東軍)次郎太夫宗勝が江戸本郷に道場を開いてから盛んになった。〔本朝武芸小伝(1716)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東軍流」の意味・わかりやすい解説

東軍流
とうぐんりゅう

近世剣術の一流派。流祖は川崎鑰之助時盛(かぎのすけときもり)、遠祖を天台僧東軍権僧正(とうぐんごんそうじょう)とする。鑰之助の伝記は明らかではないが、越前(えちぜん)朝倉氏の家臣川崎新九郎時定(ときさだ)の子で、13歳のころから父に従って鞍馬(くらま)流を学び、ついで槍(やり)を富田午生(とだごせい)に、剣を富田勢源(せいげん)について修め、さらに比叡山(ひえいざん)に上って東軍坊から刀術の奥秘を授けられ、ここに一流を始めたと伝えている。一説には、1540年(天文9)廻国(かいこく)修行の途次、上州白雲(はくうん)山(妙義(みょうぎ)山)の神に祈って一流を開悟し、ひそかに東軍流と号したという。やがて近世の初め、4代の次郎太夫宗勝(むねかつ)が出て、その奇妙を得、武州忍(おし)の原(現在行田(ぎょうだ)市)の一件で武勇を発揮し、領主阿部正秋に用いられたことから世に知られた。宗勝はのち辞して江戸に移り、晩年は信州松代(まつしろ)の真田(さなだ)侯の招きに応じ、ついで小諸(こもろ)の青山侯に仕え、1671年(寛文11)この地で没した。彼は実子がなかったため、門人24人に相伝したといわれ、養子の佐左衛門重勝、旗本の高木甚左衛門正則入道虚斎をはじめ、関久左衛門、小林彦十郎、小宅源太夫、藤井庄太夫、秋山次郎兵衛、勢宮常之丞、長坂次太夫らの活躍によって、その門流は水戸藩古河(こが)藩、丹波篠山(たんばささやま)藩、岡山藩、鳥取藩、豊後(ぶんご)岡藩など、各地に分布した。

[渡邉一郎]

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デジタル大辞泉プラス 「東軍流」の解説

東軍流

剣術の流派のひとつ。実戦的な剣術として知られる。天台宗の僧、東軍権僧正(ごんのそうじょう)に武芸を学んだ川崎鑰之助(かぎのすけ)時盛(16世紀後半に越前国で活躍した人物)が創始したとされる。4代の次郎太夫宗勝(むねかつ)が武州忍(おし)の藩主、阿部正秋に仕官した頃から世に知られるようになり、江戸に道場を構えたと伝わる。

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