近世剣術の一流派。流祖は川崎鑰之助時盛(かぎのすけときもり)、遠祖を天台僧東軍権僧正(とうぐんごんそうじょう)とする。鑰之助の伝記は明らかではないが、越前(えちぜん)朝倉氏の家臣川崎新九郎時定(ときさだ)の子で、13歳のころから父に従って鞍馬(くらま)流を学び、ついで槍(やり)を富田午生(とだごせい)に、剣を富田勢源(せいげん)について修め、さらに比叡山(ひえいざん)に上って東軍坊から刀術の奥秘を授けられ、ここに一流を始めたと伝えている。一説には、1540年(天文9)廻国(かいこく)修行の途次、上州白雲(はくうん)山(妙義(みょうぎ)山)の神に祈って一流を開悟し、ひそかに東軍流と号したという。やがて近世の初め、4代の次郎太夫宗勝(むねかつ)が出て、その奇妙を得、武州忍(おし)の原(現在行田(ぎょうだ)市)の一件で武勇を発揮し、領主阿部正秋に用いられたことから世に知られた。宗勝はのち辞して江戸に移り、晩年は信州松代(まつしろ)の真田(さなだ)侯の招きに応じ、ついで小諸(こもろ)の青山侯に仕え、1671年(寛文11)この地で没した。彼は実子がなかったため、門人24人に相伝したといわれ、養子の佐左衛門重勝、旗本の高木甚左衛門正則入道虚斎をはじめ、関久左衛門、小林彦十郎、小宅源太夫、藤井庄太夫、秋山次郎兵衛、勢宮常之丞、長坂次太夫らの活躍によって、その門流は水戸藩、古河(こが)藩、丹波篠山(たんばささやま)藩、岡山藩、鳥取藩、豊後(ぶんご)岡藩など、各地に分布した。
[渡邉一郎]
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