20世紀日本人名事典 「松山高吉」の解説
松山 高吉
マツヤマ タカヨシ
- 生年
- 弘化3年12月10日(1847年)
- 没年
- 昭和10(1935)年1月4日
- 出生地
- 越後国糸魚川(新潟県)
- 経歴
- 幼い頃から国学や漢学を学び、明治2年京都白川家学館で国史などを修める。4年国学者の黒川真頼に師事。平田派神道の立場からキリスト教撲滅を志し、5年関貫三の変名で神戸在住の宣教師グリーンの下に潜入するが、聖書を学ぶうちに回心して7年受洗する。同年摂津第一公会(のち神戸教会)創立に参画。また同年ヘボンを中心とした聖書翻訳委員会ができるとその邦訳を補佐。13〜17年「新約聖書」、17〜20年「旧約聖書」の訳業に従事し、漢文体、雅文風、俗文体はふさわしくないと、中庸かつ荘厳な文体での翻訳に力を尽くした。同年京都平安教会牧師、24年同志社教授。同志社創設の新島襄没後の混乱期に指導力を発揮したが、同志社の自立方針から宣教師無用論が起きると、宣教師に非礼だとして、組合派から聖公会に移った。日本最初の賛美歌編纂にも携わり、作詞も行った。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報