松永安左エ門(読み)まつながやすざえもん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松永安左エ門」の意味・わかりやすい解説

松永安左エ門
まつながやすざえもん

[生]1875.12.11. 壱岐
[没]1971.6.26. 東京
明治,大正,昭和の3代にわたり電力事業に取り組んだ実業家。 1898年慶應義塾中退,1899年日本銀行為替課に勤務したが,退職して 1901年石炭商福松商会を設立して成功。 1909年福博電気軌道の設立に参加,1910年九州電気,1912年日本瓦斯,九州電灯鉄道を設立して経営にあたる。その後九州電灯は同業他社を吸収して拡大,日本瓦斯も同様に他社を吸収して西部瓦斯となり,九州における公益事業の大半手中に収めた。 1917年には衆議院議員となり,1922年西部瓦斯の社長を兼任,また同年関西電気と九州電灯を合併して東邦電力を設立し五大電力の一つに発展,さらに 1924年関東の2電力会社を合併して東京電力を設立し東京へ進出。同社は既存の東京電灯と激烈な競争を展開,1928年財界の調停で両社は合併し,松永は東京電灯の筆頭株主として取締役に就任した。 1938年電力管理法が成立し,翌 1939年日本発送電株式会社が設立されると同時に一時実業界を退いたが,1949年電力事業再編成実現のため再起し,九つの新電力会社を発足させた。その後も電力中央研究所所長などの要職を務めた。

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