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林董 はやしただす

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

林董
はやしただす

[生]嘉永3(1850).2.22. 江戸
[没]1913.7.10. 東京
伯爵。明治の外交官。その外交的成功の最大のものは 1902年の日英同盟締結である。慶応2 (1866) 年幕命により中村敬宇らとイギリスに留学。明治1 (68) 年帰国して榎本武揚の軍に加わり箱館戦争に参加した。

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百科事典マイペディアの解説

林董【はやしただす】

明治の外交官。伯爵。佐倉藩蘭医佐藤泰然の子。幕府の医官林洞海の養子。1866年渡英。戊辰戦争では,榎本武揚に従い,五稜郭の戦敗北後はしばらく禁錮。1871年外務省に出仕し,岩倉遣外使節に随行。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

林董 はやし-ただす

1850-1913 明治時代の外交官,政治家。
嘉永(かえい)3年2月29日生まれ。佐藤泰然の子。林洞海の養子。幕府留学生としてイギリス留学後,箱館戦争で榎本武揚(たけあき)軍にくわわる。のち新政府にはいり,香川県知事などをへて外務次官となる。駐英公使として日英同盟締結につくした。第1次西園寺内閣の外相,第2次西園寺内閣逓信相。伯爵。大正2年7月10日死去。64歳。下総(しもうさ)佐倉(千葉県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

林董

没年:大正2.7.10(1913)
生年:嘉永3.2.29(1850.4.11)
明治期の政治家,外交官。佐倉藩(千葉県佐倉市)蘭方医佐藤泰然,たき子の子。幕府御典医林洞海(姉ツルの夫)の養子となる。続徳太郎に漢学を,ヘボン塾で英語を学ぶ。慶応2(1866)年幕府派遣英国留学生。同行中村正直,外山正一,菊池大麓ら。明治1(1868)年6月帰国,榎本武揚軍に投ず。3年釈放後兄松本順の紹介で陸奥宗光を頼り和歌山に行く。陸奥の神奈川県知事就任にともない神奈川県出仕。4年岩倉遣外使節一行の随行2等書記官。伊藤工部卿より工部大学校設立(東大工学部)の命を受け教師を雇い入れて帰国。工部助から工部少丞,工部権大書記官。15年宮内大書記官兼務となり熾仁親王の露国行に随行。18年官制改正により逓信大書記官,庶務局長,駅逓官,駅逓局長,内信局長。21年新設香川県の初代知事。23年兵庫県知事。露国皇太子(のちの皇帝ニコライ2世)の接待,大津事件(1891)処理にかかわった。榎本武揚外相,次いで陸奥宗光外相の下で外務次官を務め,原敬通商局長らと条約改正,日清戦争の処理に当たる。三国干渉後駐中国公使となり日清通商条約締結。男爵。29年駐露公使,33年駐英公使(のち大使)となり日英同盟締結(1902)に努力。子爵。第1次西園寺内閣の外相,伯爵。第2次西園寺内閣の逓信大臣,一時外相も兼務した。日英同盟に加え日仏協商,日露協商を成立させ列強協調態勢を作り上げた責任者のひとりである。<著作>『後は昔の記』(東洋文庫173)

(酒田正敏)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

はやしただす【林董】

1850‐1913(嘉永3‐大正2)
明治期の外交官。佐倉藩蘭医佐藤泰然の五男に生まれ,のち林洞海の養子となる。若くして父と横浜に移住,ヘボン英学塾に学ぶ。1866年(慶応2)幕府留学生としてイギリスに学ぶ。帰国後榎本武揚軍に投じ,箱館敗北ののち一時禁錮となる。71年(明治4)陸奥宗光の推挙で神奈川県出仕,同年岩倉使節団に随行。帰国後工部省,逓信省,香川県知事を経て,91年外務次官となり条約改正に尽力。日清戦争では陸奥宗光外相を補佐して戦時外交を推進。

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大辞林 第三版の解説

はやしただす【林董】

1850~1913) 政治家・外交官。下総佐倉藩藩医佐藤泰然の五男。林洞海の養子。駐露公使・駐英公使、第一次西園寺内閣外相、第二次西園寺内閣逓相を務めた。著「後は昔の記」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

林董
はやしただす
(1850―1913)

明治期の外交官。嘉永(かえい)3年2月29日下総(しもうさ)国佐倉本町(千葉県佐倉市)の蘭医(らんい)で順天堂創立者の佐藤泰然の五男に生まれ、のち幕府御殿医林洞海(はやしどうかい)の養子となる。1862年(文久2)横浜に移り、ヘボンらに英語を習う。1866年(慶応2)幕府留学生としてイギリスに学ぶ。1868年(明治1)帰国し、榎本武揚(えのもとたけあき)軍に投じ箱館(はこだて)戦争に参加。1871年陸奥宗光(むつむねみつ)の推挙で明治政府に出仕、同年岩倉遣外使節一行に随行、欧米を巡回。帰国後工部、逓信(ていしん)各省から香川県知事を経て1891年外務次官となり、榎本、陸奥両外相のもとで条約改正、日清(にっしん)戦時外交に活躍。その功により1895年男爵に叙せられる。戦後は駐露公使から1900年(明治33)駐英公使となり、1902年日英同盟締結を成功させ、子爵に昇叙。1906年第一次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣の外相となり、第三次日韓協約(保護条約)を結んだ功により伯爵に昇叙。1911年には第二次西園寺内閣の逓相となったが翌1912年辞職。政治的野心もなく、淡々とした英国式紳士としてイギリスでは高い評価を受けた。大正2年7月10日没。[由井正臣]
『由井正臣校注『後は昔の記他 林董回顧録』(平凡社・東洋文庫)』

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世界大百科事典内の林董の言及

【外務省】より

…海外諸国に駐在の使臣として,1870年10月,大弁務使,中弁務使,少弁務使,大記,少記の設置が布告され,72年10月,その名称は特命全権公使,弁理公使,代理公使,一等書記官,二等書記官,三等書記官に改められた。日露戦争後,欧米各国の日本公使館の大使館昇格に伴い,1905年12月に林董駐英公使が英国駐劄(ちゆうさつ)特命全権大使に任命されたのをはじめとし,以下米,独,仏,伊,墺,露各国駐劄公使が順次大使に昇格した。 おもな機構の変遷としては,1873年11月,弁事局,外事左局(欧州各国事務),外事右局(米・アジア両州事務),考法局,翻訳局,庶務局が設置され,機構がほぼ確立された。…

【中東】より

…明治時代以前の事情については,小林元の《日本と回教圏の文化交流史》(1975)が詳しい。 明治初期に在ロンドンの外交官林董が東本願寺の島地黙雷に請われて英文文献をもとにして《馬哈黙伝(マホメット伝)》(1876)を刊行している。これは明治維新後に日本の宗教制度を見直す参考とする意味をもっていた。…

【日英同盟】より

…1900年中国で起こった義和団の蜂起と列国によるその鎮圧は,イギリスをして東アジアにおける日本の軍事力に注目させる機会となったし,また日本は義和団事件中に行った厦門(アモイ)占領計画に失敗し南進の企画をくじかれ,一方,ロシアの満州駐兵が進み,日本が朝鮮,中国への侵略をはかるうえで,北方のロシアとの対立が深刻化した。こうしたなかで,01年4月,林董(ただす)駐英公使は日英間の永久的協約について見解を表明し,10月には日本政府は林公使に日英同盟商議の権限を正式に付与した。日本国内では,日露協商を説く伊藤博文らと,日英同盟を要求する桂太郎らの意見が対立,確執を生じもしたが,結局,02年1月30日,ロンドンで林駐英公使とランズダウン外相の間で日英同盟協約が調印され,即日実施された。…

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