新撰 芸能人物事典 明治~平成 「柳家つばめ」の解説
柳家 つばめ(2代目)
ヤナギヤ ツバメ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 浦出 祭次郎
- 別名
- 初名=麗々亭 柳輔,前名=柳家 小きん,柳家 小三治(4代目)
- 生年月日
- 明治9年 2月11日
- 出生地
- 東京
- 経歴
- 東京芝金杉の米屋の二男。明治32、3年頃素人連の縁で4代目麗々亭柳橋に弟子入り、柳輔の名で前座の修業をする。師の没後3代目柳家小さん門下となり小きんと改名。38年4代目柳家小三治を襲名。この前後に3代目小さんの娘婿になり徐々に頭角を現し、落語研究会の前座をつとめ、実力を認められるようになる。44年4月神田立花亭で小三治のまま真打昇進。大正2年4月2代目柳家つばめを襲名する。当時の噺家としてはインテリで持ちネタの幅も広く、新作落語も手がけたが、声柄があまりよくないため一般受けしなかった。6年発足の演芸会社では3代目小さんのマネージャー格で力をふるった。晩年は、小唄の師匠に転向同然で、不遇のうちに師匠に先立って没した。演目に「稽古屋」「二十四孝」「ハイカラ長屋」、著書に「小三治新落語集」「つばめ落語集」などがある。直接の弟子はほとんどいないが、3代目小さんの番頭格として同門の後進育成に大きく貢献した。
- 没年月日
- 昭和2年 5月31日 (1927年)
柳家 つばめ(5代目)
ヤナギヤ ツバメ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 木村 栄次郎
- 別名
- 前名=柳家 小伸,柳家 小山三,夢月亭 歌麿
- 生年月日
- 昭和4年 4月30日
- 出生地
- 宮城県 石巻
- 学歴
- 国学院大学卒
- 経歴
- 中学校教員を経て、噺家に転身、昭和27年5代目柳家小さんに入門して小伸を名乗る。29年小山三で二ツ目となり、35年夢月亭歌麿と改名、38年5代目つばめを襲名して真打となる。初めは古典一本だったが、漫画の才もあり、清水崑に師事して高座で漫画を描いた。また「佐藤栄作の正体」など自作の政治家略伝や、時事風刺の新作落語を演じ、異色の存在として活躍したが、早世した。
- 没年月日
- 昭和49年 9月30日 (1974年)
- 伝記
- 忘れえぬ落語家たち談志楽屋噺談志楽屋噺落語長屋の知恵落語家―懐かしき人たち 興津 要 著立川 談志 著立川 談志 著矢野 誠一 著興津 要 著(発行元 河出書房新社文芸春秋白夜書房青蛙房旺文社 ’08’90’87’86’86発行)
柳家 つばめ(3代目)
ヤナギヤ ツバメ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 宮尾 正造
- 別名
- 前名=柳家 さん三,柳家 歌太郎,柳家 さくら
- 生年月日
- 明治17年 9月17日
- 出生地
- 群馬県伊勢崎
- 経歴
- 機織業宮商の若旦那から生来の美声と芸事好きが高じて噺家になる。30歳頃から一念発起で3代目柳家小さんに弟子入り。さん三を名乗り大正2年人形町末広で初高座を踏む。5年頃に師の前名歌太郎を名乗りしばらく旅回りした後、7年5代目柳亭左楽門に移り、睦会に所属して同年11月柳家さくらと改め真打昇進。昭和3年7月3代目柳家つばめを襲名した。音曲から都々逸・大津絵・甚句・よかたん節を売物にするほか、上州訛りを克服した素噺でも実力を示し、「永代橋」「棒だら」「火焔太鼓」「能狂言」などを得意とした。戦時下に睦会・左楽系の重鎮として、中国・満洲などに慰問活動をしたが、15年頃体調をくずし中風となって2年後に没した。
- 没年月日
- 昭和17年 2月15日 (1942年)
- 家族
- 二男=宮尾 たか志(漫談家)
柳家 つばめ(4代目)
ヤナギヤ ツバメ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 深津 龍太郎
- 別名
- 前名=春風亭 柳蝠,三升家 勝弥,三升家 三勝,春亭 燕柳,春風亭 柳朝(4代目)
- 生年月日
- 明治25年 2月3日
- 経歴
- 初めは子ども義太夫で竹本柳子太夫と名乗っていたが、明治41年頃噺家に転向。3代目春風亭柳朝の門人となり柳蝠を名乗る。43年頃5代目三升家小勝門に転じ三升家勝弥と改名。さらに大正2年頃朝寝坊むらく門で朝寝坊朝楽。4年頃に再び勝弥に戻り、6年頃三升家小勝、7年3月春風亭燕柳と名乗り、9年10月同名のまま真打昇進。昭和2年3月に4代目柳朝を襲名。以後20年近く柳朝を名乗るが、21年9月3代目つばめの未亡人・宮尾幸子から名前を貰って4代目つばめを襲名した。江戸前の芸風でネタ数も多く「清正公酒屋」「尻餅」などいい味を持ちながらも、あっさりしすぎて人気が取れず寄席では脇役として終始した。
- 没年月日
- 昭和36年 10月12日 (1961年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報