コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

柳成龍 りゅうせいりゅうYu Sǒngryong

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

柳成龍
りゅうせいりゅう
Yu Sǒngryong

[生]中宗37(1542)
[没]宣祖40(1607)
朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) の政治家,学者。慶尚北道安東郡豊山面出身。字は而見。号は西 厓。李退渓に師事し,明宗 22 (1567) 年文科に及第。右議政,左議政を経て壬辰の倭乱 (→文禄・慶長の役 ) のときは都体察使として李舜臣らの名将を起用し,領議政 (首相) になって避難する王に従ったが,国家変乱の責任をとって辞し,都体察使になって日本軍と対戦した。宣祖 26 (93) 年再び領議政となり,軍備拡充,軍隊養成に尽力。同 31年官職を辞した。主著『西 厓先生文集』『慎終録』『懲ひ録』。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

柳成龍【りゅうせいりゅう】

朝鮮王朝の政治家,文人。号は西【がい】。李退渓に学ぶ。壬辰倭乱文禄の役)の際に,領議政,兵曹判書の要職に任命される。秀吉朝鮮侵略の危険を察知し,李舜臣を登用,防衛体制の整備に尽力するが,国内の動揺回避のため侵略はないと主張し失脚させられる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

柳成龍
りゅうせいりゅう
(1542―1607)

朝鮮、李朝(りちょう)の政治家、学者。字(あざな)は而見(じけん)、号は西(せいがい)、諡号(しごう)は文忠。退渓李滉(りこう)の門人。学識徳行ともに優れ、儒生の尊敬を集めた。官は最高位の領議政に至る。壬辰倭乱(じんしんわらん)(豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮侵入)の際、都体察使として軍務を総括し、李舜臣(りしゅんしん)、権慄(けんりつ)(1537―1599)らの名将を登用したほか、軍隊養成のため訓錬都監を新設し、火器製造、城郭修復など軍備の充実に努力した。著書に『西集』『懲(ちょうひろく)』などがある。[山内弘一]
『朴鐘鳴訳注『懲録』(平凡社・東洋文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

柳成龍の関連キーワードアンドン(安東)市ユソンニョン南人(朝鮮)朝鮮王朝

今日のキーワード

異常天候早期警戒情報

5日から 8日先を最初の日とする 7日間の平均気温がかなり高い,またはかなり低い確率が 30%以上と見込まれる場合に注意を呼びかけるため気象庁から発表される情報。低温や猛暑が長く続くと,人の活動や農作...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android