成島柳北(なるしまりゅうほく)著の随筆。初編は1874年(明治7)4月、二編は同年2月、ともに山城(やましろ)屋政吉刊。初編は1859年(安政6)の稿に翌60年(万延1)追補したものと柳北自ら編中に記している。しかし柳北の多忙のため刊行は遅れ、1871年脱稿の二編のほうが2か月先に刊行された。初編は幕末、二編は明治初年の東京柳橋(やなぎばし)の花街風俗を軽妙暢達(ちょうたつ)な漢文体でつづった随筆で、寺門静軒(てらかどせいけん)の『江戸繁昌(はんじょう)記』(1831)の影響は著しいが、二編にみられる薩長(さっちょう)出身の大官らへの辛辣(しんらつ)な風刺嘲笑(ちょうしょう)は自ら「無用の人」という柳北の真面目(しんめんぼく)が発揮されている。しかも、登場人物の対話を連ねた形式で書かれ、短編小説的な興趣もある。三編は1876年の柳北自序と依田学海(よだがっかい)「叙」のみ伝存する。
[岡 保生]
『『柳橋新誌』(岩波文庫)』▽『『明治文学全集4 成島柳北他集』(1969・筑摩書房)』
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…諧謔と風刺をぞんぶんに交えたスタイル,報告ふうな背景と逸話ふうな市井の人物描写を組み合わせるかたちで都市の多様な風景を切りとるパノラマ的な構成とを打ちだした《江戸繁昌記》は,その後にあらわれる〈繁昌記物〉の形式を決定した。《江戸繁昌記》に触発された類作には,棕隠の《都繁昌記》(1837),田中金峰の《大坂繁昌詩》(1862)があるが,その系譜を正統にうけついだものとしては,成島柳北の《柳橋(りゆうきよう)新誌》をあげるべきだろう。幕末から維新期にかけての花街風俗の変遷を活写したこの《柳橋新誌》を中継点として,〈繁昌記物〉は,服部撫松(はつとりぶしよう)の傑作《東京新繁昌記》(1874‐76)が出るに及んで最盛期を迎えることになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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