柳橋新誌(読み)りゅうきょうしんし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

柳橋新誌
りゅうきょうしんし

成島柳北の漢文戯作体の随筆集。初編と二編は 1874年刊。三編は 76年に成ったが発行停止で散逸した。特に二編は柳橋の花柳街を舞台に,江戸から明治への人情,風俗推移を写し,戯文のなかにこめられた物質万能の文明開化批判が注目される。

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百科事典マイペディアの解説

柳橋新誌【りゅうきょうしんし】

成島柳北の漢文随筆集。初編は1859年―1860年に書かれ青表紙本として刊行,1874年に初編,二編とも黄表紙本として刊行。三編は公刊されず文のみ伝わる。初編で江戸の花街柳橋の風俗を描き,二編で明治維新が柳橋に及ぼした変動を風刺的にとらえている。独特な瀟洒(しょうしゃ)な漢文体で一世を風靡(ふうび)した。

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世界大百科事典 第2版の解説

りゅうきょうしんし【柳橋新誌】

成島柳北の漢文随筆。全3編で,初・2編は1874年刊。3編は文部省から発行を差しとめられ,柳北と依田学海の序だけが伝えられて本文は散逸した。初編は,幕末の新興花街柳橋の風俗を縦横に活写し,そこに風流の真諦を求めようとする青年儒者の気概をこめる。2編は,短編小説ふうの挿話をつらねた構成で,維新後の柳橋を舞台に,薩長の政府高官無風流揶揄(やゆ)し,あわせて文明開化の卑俗浅薄な側面を辛辣に風刺しているが,その背後に流れているのは,中年を迎えた遊人の悲傷である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

柳橋新誌
りゅうきょうしんし

成島柳北(なるしまりゅうほく)著の随筆。初編は1874年(明治7)4月、二編は同年2月、ともに山城(やましろ)屋政吉刊。初編は1859年(安政6)の稿に翌60年(万延1)追補したものと柳北自ら編中に記している。しかし柳北の多忙のため刊行は遅れ、1871年脱稿の二編のほうが2か月先に刊行された。初編は幕末、二編は明治初年の東京柳橋(やなぎばし)の花街風俗を軽妙暢達(ちょうたつ)な漢文体でつづった随筆で、寺門静軒(てらかどせいけん)の『江戸繁昌(はんじょう)記』(1831)の影響は著しいが、二編にみられる薩長(さっちょう)出身の大官らへの辛辣(しんらつ)な風刺嘲笑(ちょうしょう)は自ら「無用の人」という柳北の真面目(しんめんぼく)が発揮されている。しかも、登場人物の対話を連ねた形式で書かれ、短編小説的な興趣もある。三編は1876年の柳北自序と依田学海(よだがっかい)「叙」のみ伝存する。

[岡 保生]

『『柳橋新誌』(岩波文庫)』『『明治文学全集4 成島柳北他集』(1969・筑摩書房)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

りゅうきょうしんし リウケウシンシ【柳橋新誌】

随筆。三編。成島柳北著。明治七年(一八七四)刊。洒脱な漢文体の戯文。初編は幕末期の柳橋花街の風俗を描き、二編は薩長の高官や西洋かぶれの書生を風刺し、新時代に対する文明批評を展開させたもの。第三編は本文散逸。

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世界大百科事典内の柳橋新誌の言及

【繁昌記】より

…諧謔と風刺をぞんぶんに交えたスタイル,報告ふうな背景と逸話ふうな市井の人物描写を組み合わせるかたちで都市の多様な風景を切りとるパノラマ的な構成とを打ちだした《江戸繁昌記》は,その後にあらわれる〈繁昌記物〉の形式を決定した。《江戸繁昌記》に触発された類作には,棕隠の《都繁昌記》(1837),田中金峰の《大坂繁昌詩》(1862)があるが,その系譜を正統にうけついだものとしては,成島柳北の《柳橋(りゆうきよう)新誌》をあげるべきだろう。幕末から維新期にかけての花街風俗の変遷を活写したこの《柳橋新誌》を中継点として,〈繁昌記物〉は,服部撫松(はつとりぶしよう)の傑作《東京新繁昌記》(1874‐76)が出るに及んで最盛期を迎えることになった。…

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