柳瀬正夢(読み)ヤナセマサム

デジタル大辞泉 「柳瀬正夢」の意味・読み・例文・類語

やなせ‐まさむ【柳瀬正夢】

[1900~1945]洋画家愛媛の生まれ。本名正六前衛芸術グループ「マヴォ」を結成。のちプロレタリア美術運動に参加し、労働運動ポスター、政治風刺漫画などを描いた。

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20世紀日本人名事典 「柳瀬正夢」の解説

柳瀬 正夢
ヤナセ マサム

大正・昭和期の洋画家,漫画家,詩人



生年
明治33(1900)年1月12日

没年
昭和20(1945)年5月25日

出生地
愛媛県松山市大街道町

本名
柳瀬 正六(ヤナセ マサム)

別名
筆名=夏川 八朗

学歴〔年〕
門司市松本尋常高小卒,日本水彩画会研究所,日本美術院研究所

経歴
明治44年門司に移住。大正3年上京、日本水彩画会研究所や日本美術院研究所に学び、4年日本水彩画会第2回展に初入選。日本美術院洋画部にも出品し、第2回院展初入選。9年読売新聞社に入社し、政治漫画を描く。10年「種蒔く人」同人、その後、未来派美術協会、マヴォ(MAVO)などの前衛美術運動に参加。14年日本プロレタリア文芸連盟、昭和3年全日本無産者芸術連盟(ナップ)、4年日本プロレタリア美術家同盟の各創立に参画。この間、大正15年に日本漫画家連盟創立委員として参加。昭和6年には日本共産党に入党。7年12月治安維持法違反で起訴され、8年9月懲役2年、執行猶予5年で保釈。この間「無産者新聞」「赤旗」に政治漫画・カットを描き、「戦旗」「文芸戦線」などの雑誌の表紙やポスターに腕を振るった。画集に「柳瀬正夢画集」がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「柳瀬正夢」の意味・わかりやすい解説

柳瀬正夢 (やなせまさむ)
生没年:1900-45(明治33-昭和20)

大正・昭和期の洋画家,漫画家。本名正六。松山市に生まれ,1914年上京,翌年16歳で院展に入選。20年読売新聞社に入社し,政治漫画を描き,また未来派美術協会に加わって前衛美術運動で活躍した。ドイツの漫画家G.グロッスの影響をうけ,プロレタリア美術運動に深く傾斜,25年日本プロレタリア文芸連盟および漫画連盟に参加した。同年創刊の《無産者新聞》に独特の鋭い筆致で政治漫画を描いた活動はプロレタリア美術史上特筆される。31年共産党に入党し《赤旗》部門で活動したが,32年検挙され1年後釈放された。その後夏川八朗の名で雑誌に寄稿したりしたが執筆禁止にあい,雌伏中45年5月新宿駅でアメリカ軍の爆撃で死去した。
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百科事典マイペディア 「柳瀬正夢」の意味・わかりやすい解説

柳瀬正夢【やなせまさむ】

画家。愛媛県松山市生れ。本名正六。1914年上京,日本水彩画研究所に学ぶ。1915年院展入選。1920年読売新聞社入社。1921年《種蒔く人》同人となり,1923年には〈MAVO〉結成に参加。《無産者新聞》《赤旗》等に挿画や政治漫画を発表した。1926年日本漫画連盟創立に参加するなど活躍の場は広い。1932年治安維持法違反で検挙された。近代美術の先端的動向を確実にものにする仕事を残した。1995年久万美術館で回顧展。代表作《五月の朝と朝飯前の私》。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柳瀬正夢」の意味・わかりやすい解説

柳瀬正夢
やなせまさむ

[生]1900.1.12. 松山
[没]1945.5.25. 東京
昭和初期の代表的プロレタリア漫画作家。本名,正六。小倉で小学校を終え,1915年 15歳で上京し,日本美術院研究所などで学ぶ。同年,第2回日本美術院展に油絵『光と風の流れ』が入選。未来派に傾倒し,21年には「種蒔く人」同人となる。その後 25年には,『無産者新聞』の記者となって本格的なプロレタリア漫画をかきはじめ,当時の政策や資本家を痛烈に風刺した。また『東京パック』にも漫画を載せ,32年に「治安維持法」違反の疑いで検挙され,保釈されてからは夏川八郎のペンネームで描いた。ドイツの反戦画家 G.グロッスを世に紹介し,その影響を強く受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳瀬正夢」の意味・わかりやすい解説

柳瀬正夢
やなせまさむ
(1900―1945)

画家、詩人。松山生まれ。本名は正六(まさむ)。小学校を終え、1914年(大正3)に上京、日本美術院研究所で学ぶ。『種蒔(ま)く人』『文芸戦線』に参加し、プロレタリア芸術運動の展開とともに活躍した。活動は幅広く、彫刻を発表したり、23年に村山知義(ともよし)らと前衛的芸術集団「マヴォの会」を結成、前衛的な意匠や詩を書いたり、『無産者新聞』(1925~29)で鋭い政治風刺漫画の筆を振るったりした。32年(昭和7)検挙され、入獄。東京空襲で死去。

[鳥居明久]

『『柳瀬正夢画集』(1930・叢文閣)』『『柳瀬正夢デッサン集』(1977・岩崎美術社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柳瀬正夢」の解説

柳瀬正夢 やなせ-まさむ

1900-1945 大正-昭和時代前期の洋画家,漫画家。
明治33年1月12日生まれ。大正10年「種蒔く人」同人となる。未来派美術協会,マヴォなど前衛美術団体に参加。のちプロレタリア美術にむかい,政治漫画,風刺画をかく。昭和7年治安維持法違反で入獄。昭和20年5月25日空襲にあい死去。46歳。愛媛県出身。本名は正六(まさむ)。筆名は夏川八朗。作品集に「柳瀬正夢画集」など。

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367日誕生日大事典 「柳瀬正夢」の解説

柳瀬 正夢 (やなせ まさむ)

生年月日:1900年1月12日
大正時代;昭和時代の洋画家
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の柳瀬正夢の言及

【漫画】より

…共産主義政権下の中国で1962年に鄧拓が《燕山夜話》を著して政権を批判したとき,中国に漫画の伝統があったということから説き起こしてやがて反党・反社会主義として批判されたのも,〈全体主義〉と漫画が両立しにくいことを示す。ファシズムに対抗する際の共産主義運動は,《無産者新聞》にアジ・プロ漫画を描き続けた柳瀬正夢(やなせまさむ)(1900‐45)のように,すぐれた作品を生み出した。 1945年の敗戦は大正時代の漫画を復活させた。…

※「柳瀬正夢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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