日本大百科全書(ニッポニカ) 「柴谷篤弘」の意味・わかりやすい解説
柴谷篤弘
しばたにあつひろ
(1920―2011)
分子生物学・細胞生物学・発生生物学者。京都帝国大学理学部動物学科卒業後、山口県立医科大学教授、広島大学教授、オーストラリアCSIRO(Commonwealth Scientific and Industrial Organisation連邦科学産業研究機構)動物遺伝学部および分子生物学部主席研究員、関西医科大学教授、ベルリン高等学術研究所客員研究員、京都精華大学学長を歴任。1996年(平成8)京都精華大学名誉教授。研究対象は昆虫分類・形態学、動物学、細胞生物学、分子生物学、発生生物学、理論生物学のほか、科学批判、自然保護論なども展開した。
渡辺格(いたる)(1916―2007)とともに、もっとも早期にDNA研究の重要性を認識した日本における分子生物学研究の先駆者の一人。1960年(昭和35)に出版された『生物学の革命』ですでに遺伝子診断、遺伝子治療、ナノテクノロジーの登場を予見し、広く分子生物学の革命的意義を知らしめた。
また「生命」の科学的理解を求めて、科学哲学、構造主義言語理論などさまざまな理論を網羅的に吸収し、独自の理論を打ち立ててきたが、1985年に、池田清彦(1947― )と構造主義生物学を提唱し、ネオ・ダーウィニズム(メンデルの遺伝学とダーウィンの自然淘汰(とうた)を統合した進化論。総合説)とは異なる独自の進化論を提案する。発生や進化などの生命現象の実体は、物理化学的法則から一意的に導くことができない恣意(しい)的なルールにもとづく生体分子間の記号的論的コミュニケーションであり、このルールの生成と変化が重要であって、遺伝子の変異は二次的な要因でしかないと主張し、唯物論、機械論に抵触することなく還元主義を否定した。1986年に構造主義生物学国際ワークショップを開催し、「生命の動的構造研究のための」国際的な科学運動の組織として「大阪グループ」を発足させた。
1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された国連環境会議で、キーワードとなった「持続可能な発展」および「多様性」の持続には「循環」がもっとも重要な要素であることを生態学、生物学の見地から主張した。環境や生態系を静的に「安定性」を保つべき対象としてとらえるのではなく、動的であるがゆえに持続する「多様性」に着目し、絶えず「変化」しながら全体の多様性を保つべく、人間と生態系の間に「循環」する相互作用を持続させることがもっとも重要であるとの主張は広く注目を集めた。
そのほかの著書には『反科学論』(1973)、『今西進化論批判試論』(1981)、『科学批判から差別批判へ』『ソ連邦沿海州で考えたこと』(ともに1991)、『エントロピーとエコロジー再考』(1992。槌田敦(つちだあつし)(1933― )との共著)、『われわれにとって革命とは何か』(1996)、『われらが内なる隠蔽』(1997)、『比較サベツ論』『オーストラリア発柴谷博士の世界の料理』(ともに1998)などがある。
[大和雅之]
『『生物学の革命』(1960/改訂版・1970・みすず書房)』▽『『今西進化論批判試論』(1981・朝日出版社)』▽『『科学批判から差別批判へ』(1991・明石書店)』▽『『ソ連邦沿海州で考えたこと――日本海の向う側 環日本海の環境政治学』(1991・阿吽社)』▽『柴谷篤弘・槌田敦著『エントロピーとエコロジー再考――生態系の循環回路』(1992・創樹社)』▽『『われわれにとって革命とは何か――ある分子生物学者の回想』(1996・朝日新聞社)』▽『『われらが内なる隠蔽』(1997・径書房)』▽『『比較サベツ論』(1998・明石書店)』▽『『オーストラリア発柴谷博士の世界の料理』(1998・径書房)』▽『柴谷篤弘著『構造主義生物学』(1999・東京大学出版会)』▽『『反科学論』(ちくま学芸文庫)』