玉錦三右衛門(読み)タマニシキサンエモン

デジタル大辞泉 「玉錦三右衛門」の意味・読み・例文・類語

たまにしき‐さんえもん〔‐サンヱモン〕【玉錦三右衛門】

[1903~1938]力士。第32代横綱。高知県出身。本名、西内弥寿喜やすき晩年双葉山好敵手として一時代を築いたが、昭和13年(1938)巡業中に病死した。優勝9回。→第31代横綱常ノ花 →第33代横綱武蔵山

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改訂新版 世界大百科事典 「玉錦三右衛門」の意味・わかりやすい解説

玉錦三右衛門 (たまにしきさんえもん)
生没年:1903-38(明治36-昭和13)

大正,昭和期の力士。第32代横綱。高知市出身,本名西内弥寿喜。12歳で二所ノ関部屋に入門し,小部屋のため苦労したが,無類の稽古熱心で,1926年1月に入幕した。激しい闘志のため〈けんか玉〉といわれ,32年横綱に昇進した。身長173cm,体重135kg。優勝9回。双葉山との対戦は人気をよんだが,38年12月巡業中に盲腸炎をこじらせて,大阪病院で急死した。親方兼任の二枚鑑札になって6年,すでに100人の弟子がいた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉錦三右衛門」の意味・わかりやすい解説

玉錦三右衛門
たまにしきさんえもん
(1903―1938)

相撲(すもう)力士。高知市出身。1916年(大正5)13歳で二所ノ関(にしょのせき)部屋入門、3年後に初土俵を踏み、1930年(昭和5)大関、同年10月から三連覇したが、日ごろの言動がたたり横綱を見送られた。横綱空位七場所のあと、1932年に推挙され、1933年1月から1.73メートル、135キログラムの堂々たる体格で勇壮な土俵入りをみせた。晩年は双葉山(ふたばやま)を好敵手として人気を集めたが、1938年(昭和13)巡業中、大阪において35歳で病死した。優勝9回。現役中に二所ノ関親方を兼務して多くの弟子を養成し、その一門から花籠(はなかご)、佐渡ヶ嶽(さどがたけ)、片男波(かたおなみ)、二子山(ふたごやま)、大鵬(たいほう)などの各部屋ができた。

池田雅雄]

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百科事典マイペディア 「玉錦三右衛門」の意味・わかりやすい解説

玉錦三右衛門【たまにしきさんえもん】

力士。本名西内弥寿喜。高知県出身。二所ノ関部屋所属。1918年初土俵。1932年天竜らの相撲協会日本相撲協会参照)脱退事件の際,残留組の総帥となり,同年第32代横綱となる。400戦308勝。優勝9回,全勝1回。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉錦三右衛門」の解説

玉錦三右衛門 たまにしき-さんえもん

1903-1938 大正-昭和時代前期の力士。
明治36年11月15日生まれ。二所ノ関部屋に入門。大正15年入幕,昭和5年大関。7年32代横綱となり,二所ノ関親方をかねる。優勝9回。横綱在位のまま昭和13年12月4日盲腸炎で急死した。36歳。高知県出身。本名は西内弥寿喜(やすき)。

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