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栖原角兵衛(7代) すはら かくべえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

栖原角兵衛(7代) すはら-かくべえ

1780-1851 江戸時代後期の商人,漁業家。
安永9年生まれ。松前藩の場所請負人。文化3年蝦夷(えぞ)地(北海道)石狩13場所のうち5場所をうけおい,7年初代伊達林右衛門と北蝦夷地(樺太(からふと))の漁場をひらく。のち根室,厚岸(あっけし)場所の開発にあたった。嘉永(かえい)4年7月25日死去。72歳。本姓は中尾。名は信義。

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朝日日本歴史人物事典の解説

栖原角兵衛(7代)

没年:嘉永4.7.25(1851.8.21)
生年:安永9(1780)
江戸中・後期,松前藩城下を拠点に蝦夷地場所経営に当たった紀州(和歌山県)有田郡栖原出身の漁業家,海産物・材木商,廻船業者。本姓北村,名は信義,角兵衛は世襲名。城下に設置した松前物問屋を統括店として石狩・樺太場所を請け負う。初代が敢行した紀州からの関東鰯旅漁 や房総富津の鯛桂網漁と,5代以降の蝦夷地各地での鰊・鮭・鱒漁など累代による漁業基盤の上に立ち,さらに紀州藩を後ろ盾にそれらを拡張し,海産物を大坂店や江戸店を通じて販売した。なかでも,アイヌの強制徴用に基づく伊達林右衛門との共同樺太漁業経営は年額2000~3000両の利益を生み出し,天保期(1830~44)には松前城下第3位の分限者にのし上がった。 しかし,アイヌの徴用は9代角兵衛の安政期(1854~60)に最も苛酷になり,悪者を象徴する「スワラノチゥ」(栖原の星)というアイヌ語が生まれた。こうした事業のかたわら,幕府設立の箱館産物会所御用達も務めていた。 10代角兵衛は維新後は樺太を引き揚げ,千島列島漁場の開発経営に専念し,新時代への対応を計るが,明治28(1895)年,北海道における漁業の多くを三井物産会社に移譲した。<参考文献>田島佳也「北の海に向かった紀州商人」(『日本海と北国文化』海と列島文化1巻)

(田島佳也)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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