根雨宿(読み)ねうしゆく

日本歴史地名大系 「根雨宿」の解説

根雨宿
ねうしゆく

[現在地名]日野町根雨

北東流する日野川北西流して同川に合流する板井原いたいばら川の合流点右岸に位置し、北東は三谷みたに村。日野川の対岸野田のた村。日野往来出雲街道の結節点にあたる宿場として栄えた。街路は南北に帯状に約五〇〇メートルほど延び、街路の両側に並行して板井原川沿いから山際まで数本の裏道が通る。根雨神社の社伝によると、元明天皇の世に旱魃に苦しむ村民氏神の牛頭天王(根雨神社)に祈ったところ神徳があって降雨し、草木の根が潤され、「根潤うの里」が転じて根雨となったという。「在方御定」に寛永九年(一六三二)の制札場として「ねを」とある。正保国絵図に根雨宿とみえ、正徳元年(一七一一)の郷村高辻帳に「古ハ根雨村」と注される。拝領高は一六五石余、本免は六ツ四分。幕末の六郡郷村生高竈付では生高二五二石余、竈数一六〇。「伯耆志」では林七〇町四反余、家数一六三、馬一一、産物は笠。笠は根雨笠とよばれる田植用の菅笠が有名、藪役五匁・川役一三匁が課されていた(日野郡史)。「共武政表」では明治一二年(一八七九)の家数一七八・人数七九七(男三九七・女四〇〇)、馬一〇(乗馬一・駄馬九)・牛一五九。

寛永一四年の駄賃宿賃書付(在方御定)による里程・駄賃は板井原宿へ一里三三町・一匁一分、黒坂くろさか村へ一里三二町・一匁一分、江尾えび(現江府町)へ一里二五町・一匁、二部にぶ宿(現溝口町)へ一里三三町・一匁一分、宿賃は主人(馬とも)一〇文、下人五文。同一五年から始まる出雲松江藩主の参勤交代路として、寛文年中(一六六一―七三)当宿の恩田市郎左衛門・緒形一郎右衛門が他宿の者と協力して出雲街道を整備し(日野郡野史)、当宿の宿駅としての機能も向上したと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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