桃井氏(読み)もものいうじ

改訂新版 世界大百科事典 「桃井氏」の意味・わかりやすい解説

桃井氏 (もものいうじ)

足利氏庶流の中世武家。足利義兼の子義胤が上野国群馬郡桃井郷に住し,桃井と号したのに始まる。孫の代で2流に分かれ,南北朝期に至って活躍。胤氏の1流から出た尚義は1333年(元弘3),新田義貞に属して鎌倉を陥落させた。一方頼直の流では直常が出て,越中桃井氏の基礎を築いた。直常は観応擾乱(じようらん)期の幕府政治に大きな影響力をもち,終始足利直義党の最右翼として活動した。直義没後は衰退の途をたどったが,弟直信が67-68年(正平22・貞治6-正平23・応安1)に越中守護となるなど,なお余勢を保った。室町期には奉公衆を出し,将軍権力の中枢を支えた。《永享以来御番帳》にみえる二番筆頭桃井弥九郎,御供衆桃井治部少輔入道常欽,《文安年中御番帳》にみえる二番筆頭桃井民部大輔,同孫次郎,外様衆の桃井右馬頭などがその例であるが,各人の系図上の位置は不明。一族能登越後,武蔵などにも土着。ちなみに幸若舞の祖とされる桃井直詮は直常の孫と伝える。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「桃井氏」の意味・わかりやすい解説

桃井氏
もものいうじ

足利(あしかが)一門豪族清和源氏(せいわげんじ)。足利義兼(よしかね)の子義胤(よしたね)が上野国(こうずけのくに)群馬(くるま)郡桃井郷(群馬県北群馬郡榛東(しんとう)村)を領したのに始まる。義胤の孫の胤氏(たねうじ)・頼直(よりなお)から2流に分かれ、胤氏の孫尚義(ひさよし)は新田義貞(にったよしさだ)の鎌倉攻めに加わり、桃井兵部大輔(ひょうぶのたいふ)(尚義の子盛義か)は足利尊氏(たかうじ)に属して一時能登(のと)守護となり、その子孫とみられる一族は幕府の御供衆(おともしゅう)、番頭(ばんとう)などを勤めた。一方、頼直の孫の直常(なおつね)は、初めは尊氏に属して越中(えっちゅう)守護などとなるが、観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)以来北陸を中心に抵抗を続け、一族とともに没落した。しかしその孫に直詮(なおあき)が出て幸若舞(こうわかまい)の創始者となったとする説がある。

小川 信]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桃井氏」の意味・わかりやすい解説

桃井氏
もものいうじ

清和源氏,足利氏の一族。足利義兼の子義胤が上野国桃井郡を領したことに始る。南北朝時代,直常 (ただつね) は足利氏に従い,伊賀若狭,越中守護となったが,観応の擾乱 (1350~52) に尊氏の弟直義党として活躍,直義死後はその養子直冬にくみして尊氏と戦った。これより桃井氏の室町幕府内での地位は低くなった。 15世紀なかばには番衆にその名がみえる。

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