室町前期の人物で幸若舞(こうわかまい)の祖と伝えられる。生没年不詳。直詮を〈なおあき〉と読むこともある。幸若系図などの伝承によると,足利氏の一族で,尊氏と戦って滅んだ武将桃井直常の孫で,若くして叡山に入り声明(しようみよう)をよくし,のち工夫して舞を始め,幼名幸若丸にちなんで幸若舞と称されたと伝える。また,後小松天皇に召されたとか,朝倉孝景に仕えて3000貫を領したとか伝える。直詮の出身地は越前国西田中(現福井県丹生郡越前町,旧朝日町)で,この地は江戸中期まで院内(いんない)とも呼ばれていたところから,武将の子孫とするのは仮託で,実は低い身分の出身とする説があり,敗残の将が芸能民に身を寄せたとも考えられるから,系図などの伝承を大筋で認めてよいとする説などもある。この地には八坂神社があって,14世紀後期の記録に同社の舞人として幸若の名が見え,直詮も同社所属の舞人集団の出身と推定される。没年は1470年(文明2)とも80年とも伝え,享年は78,66,61歳とも伝える。
執筆者:山本 吉左右
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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