日本歴史地名大系 「西根堰」の解説
西根堰
にしねぜき
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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福島県福島盆地北部,半田山東麓の台地および低地を灌漑する用水路。西根下堰,西根上堰からなり,いずれも阿武隈川の支流摺上(すりかみ)川の水を揚水する。堰の名は,伊達郡の阿武隈川左岸地域の称であった西根郷に由来。下堰は1618年(元和4)開削され,水路は湯野地区前野(現,福島市)より森江野(現,国見町)まで約13kmで,現在の灌漑面積は540ha。上堰は24年(寛永1)着工し,9年後に湯野地区穴原より五十沢(いさざわ)(現,伊達市)までの約30kmを開削した。現在の灌漑面積は1050ha。米沢藩四郡役の佐藤新右衛門と郡代古河善兵衛によって開削されたものである。取水位置は摺上川の浸食により,両堰ともかつての位置よりそれぞれ上流へ移されている。
執筆者:大澤 貞一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
福島県北東部、阿武隈(あぶくま)川左岸の福島盆地北西部を灌漑(かんがい)する用水路。1618年(元和4)米沢藩(よねざわはん)信達(しんたつ)四郡役の1人佐藤新右衛門(しんえもん)は摺上(すりかみ)川の水を西根郷湯野村八卦(はっけ)(福島市)で取水する湯野堰(西根下堰)14キロメートルを開削し、これにより400ヘクタールの水田が開かれた。1624年(寛永1)には福島郡代古川善兵衛(ふるかわぜんべい)が新右衛門の協力を得て、湯野村穴原(あなはら)で摺上川から取水する工事に着手、1632年に完成した(西根上堰)。湯野の温泉までは岩壁を掘削する難工事であった。延長30キロメートル、900ヘクタールの水田を潤した。1969年西根堰の水不足を補うため、産ヶ沢(うぶがさわ)に藤倉ダムがつくられた。
[安田初雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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