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桜川慈悲成 サクラガワジヒナリ

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デジタル大辞泉の解説

さくらがわ‐じひなり〔さくらがは‐〕【桜川慈悲成】

[1762~1833]江戸後期の戯作者・落語家。江戸の人。本名、八尾大助。通称錺屋(かざりや)大五郎。別号、芝楽亭(しばらくてい)。多芸多才で知られ、烏亭焉馬(うていえんば)とともに落語中興の祖とされる。黄表紙「天筆阿房楽」、咄本「三才智恵」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桜川慈悲成 さくらがわ-じひなり

1762-? 江戸時代中期-後期の戯作(げさく)者,落語家。
宝暦12年生まれ。江戸の人。岸田杜芳(とほう)の門人となり,黄表紙「天筆阿房楽(てんひつあほうらく)」をはじめ滑稽(こっけい)本,噺(はなし)本を執筆。狂歌もよむ。また烏亭焉馬(うてい-えんば)とならび,江戸の落語中興の祖と称される。没年は天保(てんぽう)4年(1833)または10年といわれる。本名は八尾大助。通称は錺屋(かざりや)大五郎。別号に芝楽亭。

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朝日日本歴史人物事典の解説

桜川慈悲成

生年:生没年不詳
江戸後期の戯作者で,主として黄表紙,噺本を著す。一説に没年は天保10(1839)年,享年73歳というが,宝暦12(1762)年生まれとする説もある。江戸芝宇田川町住の金工で,通称を錺屋大五郎という。岸田杜芳の門人となり,天明8(1788)年に処女作『天筆阿房楽』を刊行,享和(1801~04)ごろまでに三十余種の黄表紙,二十余種の噺本などを刊行。黄表紙界では山東京伝,唐来参和,芝全交などの作家と,式亭三馬,十返舎一九,滝沢馬琴などの作家とのつなぎとして寛政期(1789~1801)に活躍。以降はもっぱら噺本に転じ,自身も座敷咄を得意とする咄家として,後世まで幇間に桜川の名跡を残した。黄表紙の作風にも噺本的滑稽の要素が多いと評されている。

(中野三敏)

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世界大百科事典 第2版の解説

さくらがわじひなり【桜川慈悲成】

1762‐1833(宝暦12‐天保4)
江戸後期の戯作者,落語家。本名は八尾大助,通称は錺屋(かざりや)大五郎。親の慈悲成,芝楽亭(しばらくてい)などの別号がある。江戸の芝宇田川町の住。はじめ鞘(さや)師,のち陶器商になり,彫金もよくしたという。天明年間(1781‐89)岸田(桜田)杜芳(とほう)の門に入り,その死後桜川を名のる。黄表紙の作が最も多いが,《馬鹿長命子気(ばかちようめいしき)物語》(1791),《作者根元江戸錦(さくしやこんげんえどにしき)》(1800)などのほか見るべきものはない。

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大辞林 第三版の解説

さくらがわじひなり【桜川慈悲成】

1762~1833) 江戸後期の戯作者・落語家。本名、八尾大助(大五郎とも)。通称、錺屋かざりや大五郎。茶道・絵画などにも通じ多芸多才。烏亭焉馬うていえんばとともに、落語中興の功労者。咄本「延命養談数」、黄表紙「天筆阿房楽」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桜川慈悲成
さくらがわじひなり
(1762―1833)

江戸後期の戯作者(げさくしゃ)。本名八尾大助、通称錺屋(かざりや)大五郎。別に、親の慈悲成、芝楽(しばらく)亭、暫(しばらく)亭などと号した。江戸の芝宇田川町に住む鞘師(さやし)で、杉浦如泉門の金工であったが、のち陶器の販売に従事した。桜川(岸田)杜芳(とほう)に師事して戯作を始め、黄表紙『天筆阿房楽(てんひつあほうらく)』『作者根元江戸錦(にしき)』、噺本(はなしぼん)『滑稽好(こっけいこう)』『軽口噺』などのほか、滑稽本、合巻(ごうかん)にも筆をとったが、40年余に及ぶ長い作者生活のわりには佳作に乏しい。多芸で知られ、烏亭焉馬(うていえんば)とともに落語中興の祖として名高いが、焉馬が同好者を集めて噺の会を主宰したのに対し、慈悲成は得意の茶道や茶番狂言などをもって貴顕富貴の諸家に出入りし、幇間(ほうかん)的な生活の下に座敷芸としての噺を発展させた。その門下に桜川甚好・善好らの純然たる幇間が出、いまも幇間に桜川の名が伝わっていることが注目される。なお2代目は息子の大二郎が継いでいる。[宇田敏彦]

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世界大百科事典内の桜川慈悲成の言及

【落語】より

… おなじ安永・天明ごろ,江戸は洒落本(しやれぼん),黄表紙(きびようし),狂歌,川柳などの笑いの文学全盛期に入り,落語も復興した。顔ぶれは,烏亭焉馬(うていえんば)(立川(たてかわ)焉馬),桜川慈悲成(じひなり),石井宗叔(そうしゆく)(?‐1803)などだった。焉馬が,1786年(天明6)に向島の料亭武蔵屋で咄の会を開いて以来,江戸の文人や通人の間に咄の自作自演の会が流行した。…

【悋気の火の玉】より

…落語。原話は桜川慈悲成(さくらがわじひなり)の笑話本《延命養談数(えんめいようだんす)》(1833)所収の〈火の玉〉。浅草花川戸の鼻緒(はなお)問屋の旦那が,吉原の遊女を身請けして囲ったと知り,嫉妬心の強い女房は旦那が帰宅しても愛想が悪く,お茶をいれてくれと言うと,〈あたくしがお茶をいれたんじゃうまくないでしょう,ふん〉と言い,食事にしてくれと言うと,〈あたくしのお給仕じゃうまくないでしょう,ふん〉とすねるばかり。…

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