江戸後期の戯作者,落語家。本名は八尾大助,通称は錺屋(かざりや)大五郎。親の慈悲成,芝楽亭(しばらくてい)などの別号がある。江戸の芝宇田川町の住。はじめ鞘(さや)師,のち陶器商になり,彫金もよくしたという。天明年間(1781-89)岸田(桜田)杜芳(とほう)の門に入り,その死後桜川を名のる。黄表紙の作が最も多いが,《馬鹿長命子気(ばかちようめいしき)物語》(1791),《作者根元江戸錦(さくしやこんげんえどにしき)》(1800)などのほか見るべきものはない。黄表紙以外には,《滑稽素人芝居》(1803),《寿(ことぶき)茶番狂言》(1812)などの滑稽本や,《滑稽好(こつけいこう)》(1803),《延命養談数(えんめいようだんす)》(1833)などの咄本があり,こっけいな仕方咄(しかたばなし)や茶番趣味を加え,また落(おち)を地口(じぐち)や洒落にとる特色を見せている。多芸多才で烏亭焉馬(うていえんば)とともに落語の中興者といわれるが,咄や茶番狂言をもって諸侯や富商の邸宅に出入りする幇間的生活をも送り,その門弟に桜川姓を名のる幇間も多く出た。
執筆者:水野 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸後期の戯作者(げさくしゃ)。本名八尾大助、通称錺屋(かざりや)大五郎。別に、親の慈悲成、芝楽(しばらく)亭、暫(しばらく)亭などと号した。江戸の芝宇田川町に住む鞘師(さやし)で、杉浦如泉門の金工であったが、のち陶器の販売に従事した。桜川(岸田)杜芳(とほう)に師事して戯作を始め、黄表紙『天筆阿房楽(てんひつあほうらく)』『作者根元江戸錦(にしき)』、噺本(はなしぼん)『滑稽好(こっけいこう)』『軽口噺』などのほか、滑稽本、合巻(ごうかん)にも筆をとったが、40年余に及ぶ長い作者生活のわりには佳作に乏しい。多芸で知られ、烏亭焉馬(うていえんば)とともに落語中興の祖として名高いが、焉馬が同好者を集めて噺の会を主宰したのに対し、慈悲成は得意の茶道や茶番狂言などをもって貴顕富貴の諸家に出入りし、幇間(ほうかん)的な生活の下に座敷芸としての噺を発展させた。その門下に桜川甚好・善好らの純然たる幇間が出、いまも幇間に桜川の名が伝わっていることが注目される。なお2代目は息子の大二郎が継いでいる。
[宇田敏彦]
(中野三敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
… おなじ安永・天明ごろ,江戸は洒落本(しやれぼん),黄表紙(きびようし),狂歌,川柳などの笑いの文学全盛期に入り,落語も復興した。顔ぶれは,烏亭焉馬(うていえんば)(立川(たてかわ)焉馬),桜川慈悲成(じひなり),石井宗叔(そうしゆく)(?‐1803)などだった。焉馬が,1786年(天明6)に向島の料亭武蔵屋で咄の会を開いて以来,江戸の文人や通人の間に咄の自作自演の会が流行した。…
…落語。原話は桜川慈悲成(さくらがわじひなり)の笑話本《延命養談数(えんめいようだんす)》(1833)所収の〈火の玉〉。浅草花川戸の鼻緒(はなお)問屋の旦那が,吉原の遊女を身請けして囲ったと知り,嫉妬心の強い女房は旦那が帰宅しても愛想が悪く,お茶をいれてくれと言うと,〈あたくしがお茶をいれたんじゃうまくないでしょう,ふん〉と言い,食事にしてくれと言うと,〈あたくしのお給仕じゃうまくないでしょう,ふん〉とすねるばかり。…
※「桜川慈悲成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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