梅ケ谷藤太郎(読み)ウメガタニ トウタロウ

20世紀日本人名事典 「梅ケ谷藤太郎」の解説

梅ケ谷 藤太郎(1代目)
ウメガタニ トウタロウ

明治・大正期の力士(第15代横綱)



生年
弘化2年2月9日(1845年)

没年
昭和3(1928)年6月15日

出生地
筑前国上座郡志波村梅ケ谷(現・福岡県朝倉郡杷木町)

本名
小江 藤太郎

別名
年寄名=雷

経歴
幼時から体格・体力にめぐまれ、16歳の頃は素人相撲で筑前最強といわれた。文久3年大坂相撲で初土俵を踏み、明治3年1月大関昇進した後、同年12月上京して玉垣部屋に入門。7年入幕、16年春場所で大関、17年2月横綱となる。3月浜離宮での天覧相撲では、伊藤博文からの寄贈で横綱用化粧廻しをして晴れて土俵入りをおさめた。しかし夏場所で2敗、18年引退する。引退後、雷権太夫襲名。22年東京相撲協会成立と共に取締、42年両国国技館を建設。相撲興行の近代化と大相撲発展のために大きな功績を残した。東京の幕内成績22場所、116勝6敗、優勝9回。明治9〜14年にかけて58連勝(史上3位)。


梅ケ谷 藤太郎(2代目)
ウメガタニ トウタロウ

明治・大正期の力士(第20代横綱)



生年
明治11(1878)年3月11日

没年
昭和2(1927)年9月2日

出身地
富山県富山市水橋大町

本名
小江 音次郎

旧姓(旧名)
押田

別名
前シコ名=梅ノ谷,年寄名=雷

経歴
明治24年初代梅ケ谷の養子となって入門。25年夏場所で初土俵を踏む。31年入幕、33年大関、35年梅ケ谷を襲名、36年史上最年少(25歳)で横綱となる。19代横綱常陸山と対抗して大相撲の人気を高めた。大正4年夏場所後引退。幕内成績36場所、168勝27敗、優勝4回。引退後、年寄雷(いかずち)を継ぎ、東京相撲協会取締になる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「梅ケ谷藤太郎」の解説

梅ケ谷藤太郎(初代)

没年:昭和3.6.15(1928)
生年:弘化2.2.9(1845.3.16)
明治期の力士。15代横綱。筑前国(福岡県)上座郡志波村生まれ。本名小江藤太郎。文久3(1863)年大坂相撲の湊の門に入り,大関となる。明治3(1871)年上京,番付外で取らされるなど冷遇されながらも,12年大関に昇進,17年横綱に推された。同年3月の天覧相撲を化粧まわしを買い揃えることができないからと辞退したが,伊藤博文の援助により土俵入りを果たした。176cm,105kg。無類の怪力,相手にまわしを与えない堅実無比の取り口で,初土俵以来157勝14敗。58連勝(史上3位)がある。18年引退して雷を襲名,高砂浦五郎(初代)と共に協会取締に選ばれ相撲興隆に尽力。常陸山,梅ケ谷(2代)両横綱による相撲黄金期を招来,42年には当時東洋一といわれた両国国技館を建設した。梅ケ谷(2代)ほか多くの幕内力士を育て雷部屋を一代で大部屋にした。のち雷の名跡を梅ケ谷(2代)に譲り,人格も優れていたので晩年は大雷と尊敬された。

(木村庄之助28代)


梅ケ谷藤太郎(2代)

没年:昭和2.9.2(1927)
生年:明治11.3.11(1878)
明治大正期の力士。20代横綱。石川県新川郡(富山市)水橋村生まれ。本名押田(のち小江)音次郎。明治36(1903)年5月,東西の大関で全勝同士で常陸山谷右衛門と対戦,敗れたものの場所後常陸山と同時に横綱に昇進した。その後も両雄の対決は満都の人気を博し,梅・常陸時代といわれる大相撲黄金期を現出した。12歳で上京して雷の門に入り梅ノ谷を名乗る。怪童として早くから注目され,31年入幕,33年大関,35年師匠で養父の初代梅ケ谷の四股名を襲い,翌年には史上最年少(当時)の満25歳で横綱。大正4(1915)年6月場所後に引退,年寄雷を継ぎ取締にあげられた。168cm,160kg。まれに見る相撲巧者で取り口は堅実細心,腹やぐらに乗せての吊りを得意とした。土俵入りも華麗で天下一品と称えられた。<参考文献>彦山光三『横綱伝』

(水野尚文)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梅ケ谷藤太郎」の解説

梅ケ谷藤太郎(2代) うめがたに-とうたろう

1878-1927 明治-大正時代の力士。
明治11年3月11日生まれ。先代の養子となり入門。明治31年入幕。36年常陸山(ひたちやま)とともに横綱(20代)となり,梅-常陸時代をきずく。身長168cm,体重158kgのアンコ型。幕内成績168勝27敗,優勝4回。昭和2年9月2日死去。50歳。富山県出身。旧姓は押田。本名は小江音松。年寄名は雷(いかずち)権太夫。

梅ケ谷藤太郎(初代) うめがたに-とうたろう

1845-1928 明治時代の力士。
弘化(こうか)2年2月9日生まれ。明治3年大阪相撲の大関をやめ,東京にうつる。7年入幕。17年15代横綱。幕内成績116勝6敗,優勝9回。維新後の相撲の再興につとめ,引退後は両国国技館建設に尽力。昭和3年6月15日死去。84歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。本名は小江藤太郎。年寄名は雷(いかずち)権太夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「梅ケ谷藤太郎」の解説

梅ケ谷 藤太郎(2代目) (うめがたに とうたろう)

生年月日:1878年3月11日
明治時代;大正時代の力士(第20代横綱)
1927年没

梅ケ谷 藤太郎(初代) (うめがたに とうたろう)

生年月日:1845年2月9日
明治時代の力士(第15代横綱)
1928年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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