日本大百科全書(ニッポニカ) 「梅本克己」の意味・わかりやすい解説
梅本克己
うめもとかつみ
(1912―1974)
哲学者。神奈川県に生まれる。1937年(昭和12)東京帝国大学倫理学科卒業。和辻哲郎の門下生として、西田幾多郎や田辺元の哲学やハイデッガー、ヤスパースらの実存哲学の影響下に哲学研究を始めた。1942年に母校の旧制水戸高校教授に就任。教養派リベラルの立場にたつ彼は、内務省から派遣された校長によって、「倫理」科目の担当を外されるなど数々の圧迫を受けた。マルクス主義に接近したのは第二次世界大戦後のことで、有名な主体性論争は、1947年(昭和22)発表の「人間的自由の限界」(『展望』2月号)と「唯物論と人間」(同10月号)の2編によって口火が切られた。1951年にレッド・パージで水戸高校を去り、1954年に立命館大学文学部に迎えられたが病気のためわずか半年で依願退職。以後、正規の教職にはいっさいつかず、長い闘病生活のなかで哲学の研究に専念する。彼の一貫した関心テーマはマルクス主義における人間の問題、とりわけ主体性や疎外論にあった。日本共産党に入党したこともあるが、倫理的主体性を強調するなど終始ユニークなマルクス主義哲学者の姿勢を堅持した。主要著書は『唯物論と主体性』(1961)、『現代思想入門』(1963)、『マルクス主義における思想と科学』(1964)、『唯物史観と現代』(1967)などで、ほかに遠坂良一(とおさかりょういち)(1912―1980)との対談『毛沢東思想と現代の課題』(1972)、丸山真男(まるやままさお)・佐藤昇(さとうのぼる)(1916―1993)との鼎談(ていだん)『現代日本の革新思想』(1966)などがある。
[西田 毅 2016年8月19日]
『『梅本克己著作集』全10巻(1977~1978・三一書房)』▽『梅本克己追悼文集刊行会編『追悼 梅本克己』(1975・風濤社)』