森川馬谷(読み)もりかわばこく

改訂新版 世界大百科事典 「森川馬谷」の意味・わかりやすい解説

森川馬谷 (もりかわばこく)
生没年:1714-91(正徳4-寛政3)

江戸後期の講談師俗名,彦左衛門とも伝吉ともいわれている。はじめ馬場文耕の門にあったが,のち独立して一派をたてる。天明期から読物を,初,中,後の3段に分け,軍書物,お家騒動物,世話物ジャンル別を確立した。前席(ぜんせき)をひとり使って前座とするシステムも彼の考案とされている。《大岡政談》《伊達評定》などをよくしたが,酒色に耽溺,大言壮語の癖もあり〈講釈師見てきたような噓をつき〉の川柳は,この馬谷以来のものといわれる。
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朝日日本歴史人物事典 「森川馬谷」の解説

森川馬谷(初代)

没年:寛政3.1.8(1791.2.10)
生年正徳4(1714)
江戸中期の講釈師。江戸の町医森川玄昌の次男。本名伝吉。馬場文耕の門人となるが,のちに独立して一派をなした。別に尾張の浪人森川庄左衛門説があり,これは江戸の馬喰町に住む大道講釈で8人家族を養った(馬喰町で八人の口を養う)ので馬谷と称したというが,俗説であろう。読物を軍記物,御家騒動物,世話物の3種に分けたり,前座をひとり使うなど講釈界の形態を整えた。また後世に引き継がれた講釈場の看板ビラの書き方も馬谷が創始した。正月の初席には「大岡仁政談」「伊達大評定」「理世安民記」と併書した看板を出したが,3字合わせて大伊理(大入り)で縁起を祝ったものという。没月日は2月8日ともいわれている。<参考文献>関根黙庵講談落語今昔譚』(改題復刻『講談落語考』,1960)

(吉沢英明)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「森川馬谷」の意味・わかりやすい解説

森川馬谷
もりかわばこく
(1714―1791)

江戸中期の講釈師。初代。本名伝吉。父は江戸の町医森川玄昌。馬場文耕(ぶんこう)に入門。読み物を初・中・後の3段に分け、軍談、御家騒動、世話物などに区別した。また、前座を1人使い、看板やびらの書き方にもくふうを凝らすなど、講談の興行形態の確立に多大の功績があった。学問はあったが、ずぼらで休席が多いため客足が落ち、ついには自ら看板の下に「づるけなし」と張り出し、これがあだ名となった。なお、馬谷の名は4代まであり、2代(生没年未詳)は初代門人馬童が継ぐ。彼は修羅場(ひらば)の上手で、門弟より東流斎馬琴(とうりゅうさいばきん)が出た。3代(生没年未詳)は2代の実子で通称辰造。4代(1826―88)は東流斎馬琴の門人琴梅(きんばい)が継ぐ。

[延広真治]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森川馬谷」の解説

森川馬谷 もりかわ-ばこく

1714-1791 江戸時代中期の講釈師。
正徳(しょうとく)4年生まれ。馬場文耕の門人。読み物を初・中・後の3段にわけ,軍談,お家騒動,世話物のジャンルをさだめる。前座のシステム,看板やビラの書き方なども創案し,興行形態に新発展をもたらした。名跡は門人の馬童がつぎ,4代までつづいた。寛政3年2月8日死去。78歳。江戸出身。通称は伝吉。

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世界大百科事典(旧版)内の森川馬谷の言及

【講談】より

…当初の大道での辻講釈ではなく,講釈場における話芸としての講釈の完成とともに幾多の名人が出現した。森川馬谷(ばこく)は読み物を初・中・後の3席に分け,修羅場(軍談),評定物(お家騒動物),世話物と区別し,前座を使った。これが,のちの前座・中座読(なかざよみ)・後座読(ござよみ)(真打ち)の順位の基となった。…

※「森川馬谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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