庭木,盆栽などをつくり,それを販売すると同時に,庭木の手入れや庭造りなども行う職業。社寺,邸宅などの本格的な造園には早くから〈石立(いしだて)〉〈庭作り〉などの職人が従事していたが,近世初頭にはそれらから分化して植木屋が成立していたようである。《多聞院日記》を見ると1609年(慶長14)には,木継の善四郎という職人が接木したミカンの木を植える記事などがあり,《雍州(ようしゆう)府志》(1684)には京都の北野に〈種樹家〉があって,いろいろな樹木を売ったり果樹の接木をすると書かれている。《人倫訓蒙図彙》(1690)には〈植木屋〉という名称が見え,京都では北野,大坂では道頓堀と天満天神前,江戸では下谷,本郷,麻布にあるとしている。やがて武家や町家に出入りして庭木の手入れをする植木職や,植木や草花を行商する植木売りも現れ,植木屋や植木職が集まった植木店(だな)も各所に形成された。幕末期の江戸では染井,巣鴨へんの植木屋がとくに有名で,《絵本江戸土産》には〈園中奇石珍樹を植ゑ並べ,草木の花四時に絶ず。……都下の騒人雲の如く集ひてこれを見物す〉と記している。
執筆者:鈴木 晋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
庭木の栽培、手入れと庭作(にわつくり)の職人。14世紀から庭園に対する需要が高まり、茶庭の露地作(ろじつくり)(露地の者)や正しい箒目(ほうきめ)をつけるための庭掃(にわはき)などの職人が生まれた。また、このころの庭園は植木よりも石に重点が置かれて、石立(いしだて)といった僧体の職人も生まれた。17世紀になると、石を主にした作庭は、武家や町家の住宅にもみられ、庭作、のちに庭師という職人が現れ、同時にその庭に草木も植えるようになり、それらを供給する職人、つまり植木屋がみられるようになった。自家で植木や盆栽、草花などを栽培して、これを販売するばかりでなく、18世紀からは縁日や植木市にも出すようになり、さらに出職(でしょく)によって庭木の手入れもするようになった。植木職ともいい、庭師の仕事と重なってきた。道具は植木鋏(ばさみ)(巻蔓(まきづる)型の二つの指輪のある庭師鋏と両手で使う長い柄の木刈鋏)と鋸(のこぎり)である。近代では造園業といわれるように、庭師と植木屋は一括されてきたが、造園が主となったために、植木鋏で出入りの家の庭木を、秋口に刈り込みなどをする植木職人は少なくなった。庭師にしても、大きな園芸店の下請けとなる者も出てきた。しかし、注文の木を探して歩く下入屋(したいれや)とか、縁日などへ木を掘って持って行く地掘屋(じぼりや)(縁日屋)などは存在している。庭師、植木屋は今日では造園士と総称されている。
[遠藤元男]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加