改訂新版 世界大百科事典 「植民地法」の意味・わかりやすい解説
植民地法 (しょくみんちほう)
植民地において施行される法。植民地法は,植民地の形態に応じて,本国の主権が及ぶ属領では本国法,保護国では保護条約と被保護国の法令,委任統治国では国際連盟規約など,まったく異なった法律形式をとる。
戦前の日本に例をとれば,(1)属領としての日清戦争後の台湾,日露戦争後の樺太や朝鮮,それに南方軍政地域(甲地区--フィリピン,マラヤ,ジャワ,スマトラ),(2)租借地としての日露戦争後の旅順,大連,(3)委任統治としての第1次大戦後の旧ドイツ領南洋群島,(4)保護国としての十五年戦争開始以降の満州国,汪兆銘政権,南方軍政地域(乙地区--タイ,フランス領インドシナ)などがある。だがその多様な法律形式にもかかわらず,植民地法の本質は本国への政治的・経済的従属と植民地人民の抑圧にある。
たとえば,戦前日本の直轄植民地としての台湾,朝鮮には大日本帝国憲法が適用されたが,統帥系の機関としての総督が日本の帝国議会を排除して法律の効力をもつ律令(台湾),制令(朝鮮)を制定することができたから,いわば帝国憲法のブルジョア的側面(議会制,臣民の権利)はほとんど適用されず,絶対主義的側面(天皇大権,統帥権独立)のみが貫徹することとなった。具体的にはこれらの属領では,第1に植民地行政は軍隊指揮権をもつ現役武官としての総督による事実上の軍政であって,〈地方議会〉は存在せず,司法の独立(裁判官の身分保障)も本国に比べて著しく弱かった。また,台湾,朝鮮では帝国議会の選挙法もついに施行されなかったから,植民地人民にはいかなる意味でも参政権がなかった。第2に,政治的自由はほとんど存在せず,匪徒刑罰令(台湾),〈政治ニ関スル犯罪処罰ノ件〉(朝鮮)などによって徹底的な弾圧と極刑が行われた。第3に,日本の法律によって台湾銀行,朝鮮銀行,東洋拓殖会社など特殊銀行・会社が設立されて鉱物資源等の略奪が行われる一方,会社令(朝鮮)などに基づく会社設立許可主義によって民族資本の発展が抑圧された。第4に,旧慣調査を口実として官民有地区分が行われ,膨大な土地収奪が行われた。
次に十五年戦争開始以降の保護国における植民地法の特徴についていえば,たとえば,満州国は,第1に,執政,参議府,国務院,最高法院などの形式的な国家統治組織を整えたが,その本質は,日本が国防・治安維持の権限をもち,関東軍司令官が満州国官吏に日本人を任命する権限をもつ,日本の軍政であった。政治的自由の分野でも,治安維持法が1941年に制定されるなど,日本法と似た法体系をとるに至る。第2に,満州国は人的・物的資源を略奪するための植民地であったから,国家総動員法(1938公布),臨時資金統制法(1937公布)など,日本のファシズム経済法と名称・内容までほとんど同一の法律が制定される。地籍整理事業や土地商租権などによる土地略奪が広範に行われたこともいうまでもない。また,この歴史段階では,台湾,朝鮮,関東州,樺太,南洋列島には日本の国家総動員法などが適用されて,この点でも法体系の一元化が進行するのである。
さらに太平洋戦争下の軍政地域では,実質のみならず形式的にも,大本営政府連絡会議を頂点とし,現地の軍政監部による軍政が行われた。そこではもはや軍政監部による軍政令が〈立法〉であり,軍法会議・軍律会議が〈司法〉であった。
このように戦前日本の植民地法の歴史は,本国法と植民地法の密接な連関をよく示している。朝鮮の〈政治ニ関スル犯罪処罰ノ件〉を先駆として日本の治安維持法が成立し,満州国にもちこまれる。また,満州国における関東軍による統帥権優位と経済統制の先駆的実験が日本の国家総動員法に体系化され,これが台湾,朝鮮などにも適用された。
執筆者:本間 重紀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報