大本営政府連絡会議(読み)だいほんえいせいふれんらくかいぎ

改訂新版 世界大百科事典 「大本営政府連絡会議」の意味・わかりやすい解説

大本営政府連絡会議 (だいほんえいせいふれんらくかいぎ)

日中戦争開始後に設置された国務統帥の連絡調整機関。日中開戦後国務(政府)と統帥(陸軍参謀本部と海軍軍令部)の矛盾対立,政戦両略の不一致に悩んだ近衛文麿首相は,首相の大本営出席を要求したが軍部に拒否され,政府はやむなく1937年11月20日大本営設置と同時にこの会議を設置した。おもな構成員は首相,外相,蔵相,陸相,海相,参謀総長軍令部総長などであり,必要に応じて他の閣僚枢密院議長などが出席し,とくに重要国策決定のさいには天皇が出席する御前会議として開催された。軍部が統帥事項を議題とすることに反対したため,政戦両略の一致はならず,38年1月以後は開催が中断された。40年7月第2次近衛内閣が会議を再開し,南方武力侵略などを含む〈世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要綱〉を決定して以後,統帥事項をのぞく事実上の最高国策決定機関となり,同年11月からは定期的に開催された。しかし所期目的を十分に果たしえず,44年8月5日小磯国昭内閣によって廃止され,同日新たに最高戦争指導会議が設置された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大本営政府連絡会議」の意味・わかりやすい解説

大本営政府連絡会議
だいほんえいせいふれんらくかいぎ

1937年 11月に大本営の設置に伴い,政府と統帥部との申合せによって生れた戦争指導機構。統帥権が独立していたために,国務と統帥を調整する必要から設置されたが,法制によって規定されたものではなかったため,会議における決定は法的な効力をもっていなかった。この会議の構成員は,時期,議案により多少変更があったが,大本営から参謀総長,軍令部総長,政府から首相,外相,陸相,海相の6人のほか,蔵相,企画院総裁がほぼ継続的に出席し,ほかの閣僚も必要に応じて臨時に出席した。特に重要事項については御前会議を奏請したが,総理大臣が奏請する場合と,参謀総長,軍令部総長が奏請する場合とがあった。 44年7月に小磯国昭内閣が成立したのち,最高戦争指導会議に改組された。

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百科事典マイペディア 「大本営政府連絡会議」の意味・わかりやすい解説

大本営政府連絡会議【だいほんえいせいふれんらくかいぎ】

日中戦争開始後,1937年11月,大本営設置と同時に政戦両略一致を目的として設けられた大本営と政府の連絡機関。初め近衛文麿首相は首相が大本営の一員となることを求めたが軍部の反対で実現しなかった。結局この会議では陸・海軍とも戦略を討議することを拒み,所期の目的は果たせず,1944年小磯国昭内閣の最高戦争指導会議に解消された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大本営政府連絡会議」の意味・わかりやすい解説

大本営政府連絡会議
だいほんえいせいふれんらくかいぎ

戦争指導の一元化を図るために設けられた統帥部と政府の連絡調整機関。1937年(昭和12)11月20日近衛文麿(このえふみまろ)内閣のとき、大本営設置と同時に設けられた。参謀総長、軍令部総長と、首相、外相、陸相、海相を構成員とし、ときには他の閣僚、枢密院議長などが列席した。とくに重要な会議に天皇が出席する御前会議があり、対米英開戦など最高国策の決定を行った。1944年8月5日小磯国昭(こいそくにあき)内閣によって最高戦争指導会議と改称された。

[藤原 彰]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大本営政府連絡会議」の解説

大本営政府連絡会議
だいほんえいせいふれんらくかいぎ

昭和期,陸海軍などの統帥部と政府の間に定期的に開催され,国家の最高意思を決定した会議。1937年(昭和12)11月20日宮中に設置された大本営は陸海軍間の協議機関であったため,政府と協議するための連絡機関として閣議申合せによって成立。日中戦争から太平洋戦争期の実質的な国策決定の場となった。連絡会議での決定後,とくに重要な案件については御前会議が開かれた。44年8月に最高戦争指導会議に改組。

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世界大百科事典(旧版)内の大本営政府連絡会議の言及

【御前会議】より

…しかし明治天皇は,日清戦争前後から日露戦争の時期には大本営会議はもとより,法制上規定のない元老会議,元老と主要閣僚の合同会議,またはそれに参謀総長や海軍軍令部長を加えた会議に出席した。大正期から昭和初期までは枢密院会議以外の御前会議は開かれなかったが,日中戦争の開始にともない大本営と大本営政府連絡会議が設置され,1938年1月以降,日中戦争の根本処理方針,日独伊三国同盟締結,日米交渉,太平洋戦争の開戦と終結などの最高国策を決定するための御前会議が1年に数回開かれた。その構成員は,大本営政府連絡会議のメンバー(主要閣僚と陸海軍統帥部首脳)のほか,ときには枢密院議長や全閣僚が出席することもあった。…

【大本営】より

…明治期には元老,大正期には外交調査会などが事実上その調整役を行ったが,昭和期に入るとそのような役割を担うものがなくなった。そこで37年11月の大本営設置と同時に大本営政府連絡会議を上記の役割を担うべく形式的,制度的対応として設置したが,必ずしも期待されたとおりではなかった。この会議の運用を形式的に整備し,44年8月に最高戦争指導会議と改称し,敗戦まで存続した。…

※「大本営政府連絡会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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