楊朱(読み)ヨウシュ

デジタル大辞泉 「楊朱」の意味・読み・例文・類語

よう‐しゅ〔ヤウ‐〕【楊朱】

中国戦国時代思想家。自己の欲望を満足させることが自然に従うものであるとする為我説を唱え、儒家墨家に対抗した。その説は「列子」「荘子」などに断片的にみえる。生没年未詳。楊子

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精選版 日本国語大辞典 「楊朱」の意味・読み・例文・類語

よう‐しゅヤウ‥【楊朱】

  1. 中国戦国時代初期の思想家。孔子以後、孟子以前の人。その説は為我説(個人主義)と快楽説中心で、「孟子」「荘子」の中や「列子‐楊朱編」に引かれている。墨子兼愛説博愛主義)と対立した。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「楊朱」の意味・わかりやすい解説

楊朱
ようしゅ

生没年不詳。中国古代の思想家。戦国時代(前3世紀後半)に為我(いが)説(我が為(ため)にする自己中心主義)を唱え、墨翟(ぼくてき)学派(墨家)と並んで大きな勢力をもったらしいが、その詳細は不明である。孟子(もうし)の評言によると、世界のためになるからといって毛筋1本でさえ自分を犠牲にすることは拒否するという、徹底した自己主義者で、世界の問題よりは、個人的、内面的な問題を重視する荘子(そうし)の思想などとの類縁がみられる。自己中心の思想は、その要点として生命尊重の思想と関係し、さらには感覚的欲望の解放とも関係する。『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』の「貴生編」などにみえる養生思想は、利己的独善的な傾向が強く、またそこにみえる子華子(しかし)の全生説は欲望解放に向かう傾向をみせていて、楊朱の後学の思想を伝えるものであろうとされている。また、『列子』のなかに「楊朱編」があり、極端な快楽説として有名であるが、おそらくその名を借りただけの後世仮託であろう。

金谷 治 2015年12月14日]

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改訂新版 世界大百科事典 「楊朱」の意味・わかりやすい解説

楊朱 (ようしゅ)
Yáng Zhū

中国,戦国時代初期に〈為我説(個人主義)〉を唱えた思想家。生没年不詳。楊子の呼称でも知られる。字は子居。朱は名といわれる。楊朱の事跡は明らかでなく,著書も残らないが,《孟子》《列子》などにその思想がうかがえる。人間にとって最も大切なことは,自己の生命を全うし,その生命と不可分の自然な欲望を十分に満足させて,個人としての充実した人生を送ることであり,死後名声を求めて天下国家のためにおのれの生命をすり減らしたり,名教道徳にとらわれて自己の欲望を抑制したりするのは無意味だと主張し,孟子などから厳しく非難された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「楊朱」の意味・わかりやすい解説

楊朱
ようしゅ
Yang Zhu

[生]前395?
[没]前335?
中国,戦国時代前期の思想家。字は子居。楊子と通称される。伝記は不明であるが,一説に,衛 (河南省) または秦 (陝西省) の人。老子の弟子といわれ,徹底した個人主義 (為我) と快楽主義とを唱えたと伝えられる。道家の先駆の一人で,人生の真義は自己の生命とその安楽の保持にあることを説いたとされる。『呂氏春秋』中にその遺説が散見する子華子は楊朱と同一人であるとの説がある。

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百科事典マイペディア 「楊朱」の意味・わかりやすい解説

楊朱【ようしゅ】

中国,戦国時代の思想家。楊子とも。生没年不詳。字は子居。諸子百家の一人。著書は伝わらないが,為我説(個人主義)を説き,欲望肯定の思想を主張したとされる。

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世界大百科事典(旧版)内の楊朱の言及

【為我説】より

…中国,戦国時代に楊朱のとなえた学説。〈我が為にする〉個人主義の立場であり,〈一毛を抜いて天下を利するも為さざるなり〉と徹底していた。…

【全性保真】より

…中国,戦国時代,楊朱の説いた思想。儒家孟子から徹底した利己主義だと批判された楊朱が,一方の道家からは,〈性を全くして真を保つ〉立場にたっていたと評価された(《淮南子(えなんじ)》)。…

【道家】より

… 道家は,その源が戦国の乱世それ自体,すなわちこの一大社会変革の生み出す政治への不信ないし生の不安にあり,それらを理論的に解決して人々に慰めを与えるものだったので,当時の失意の士大夫の間に多数の支持者を得たのみならず,今日まで同様の時代・類似の境遇の人々に広範に信奉されてきた。その先駆は《論語》にいう逸民であるかもしれぬが,直接には戦国中~後期の(1)個人の生命の充実を重んじた楊朱,子華子,詹何(せんか),(2)寡欲に徹し闘争の否定を唱えた宋牼(そうけい),尹文(いんぶん),(3)道徳的先入観からの脱却を説いた田駢(でんへん),慎到,(4)総体としての世界の〈実〉に依拠して,あれとこれとの区別である〈名〉(概念,判断)を軽視した恵施(けいし)などであり,その成立と展開は《荘子》《老子》《淮南子》などによって最もよく知りうる。前3世紀初め,自我の撥無(はつむ)によって一の無たる世界に融即せよ,それこそが道をとらえた聖人の主体性だからとする万物斉同の哲学に始まり,そのように世界を統御しつつ同時にそこから超出して自由であれと説く遊(ゆう)の思想に受け継がれ,以後各方面に展開していった。…

※「楊朱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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