生没年不詳。中国古代の思想家。戦国時代(前3世紀後半)に為我(いが)説(我が為(ため)にする自己中心主義)を唱え、墨翟(ぼくてき)学派(墨家)と並んで大きな勢力をもったらしいが、その詳細は不明である。孟子(もうし)の評言によると、世界のためになるからといって毛筋1本でさえ自分を犠牲にすることは拒否するという、徹底した自己主義者で、世界の問題よりは、個人的、内面的な問題を重視する荘子(そうし)の思想などとの類縁がみられる。自己中心の思想は、その要点として生命尊重の思想と関係し、さらには感覚的欲望の解放とも関係する。『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』の「貴生編」などにみえる養生思想は、利己的独善的な傾向が強く、またそこにみえる子華子(しかし)の全生説は欲望解放に向かう傾向をみせていて、楊朱の後学の思想を伝えるものであろうとされている。また、『列子』のなかに「楊朱編」があり、極端な快楽説として有名であるが、おそらくその名を借りただけの後世の仮託であろう。
[金谷 治 2015年12月14日]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…中国,戦国時代に楊朱のとなえた学説。〈我が為にする〉個人主義の立場であり,〈一毛を抜いて天下を利するも為さざるなり〉と徹底していた。…
…中国,戦国時代,楊朱の説いた思想。儒家孟子から徹底した利己主義だと批判された楊朱が,一方の道家からは,〈性を全くして真を保つ〉立場にたっていたと評価された(《淮南子(えなんじ)》)。…
… 道家は,その源が戦国の乱世それ自体,すなわちこの一大社会変革の生み出す政治への不信ないし生の不安にあり,それらを理論的に解決して人々に慰めを与えるものだったので,当時の失意の士大夫の間に多数の支持者を得たのみならず,今日まで同様の時代・類似の境遇の人々に広範に信奉されてきた。その先駆は《論語》にいう逸民であるかもしれぬが,直接には戦国中~後期の(1)個人の生命の充実を重んじた楊朱,子華子,詹何(せんか),(2)寡欲に徹し闘争の否定を唱えた宋牼(そうけい),尹文(いんぶん),(3)道徳的先入観からの脱却を説いた田駢(でんへん),慎到,(4)総体としての世界の〈実〉に依拠して,あれとこれとの区別である〈名〉(概念,判断)を軽視した恵施(けいし)などであり,その成立と展開は《荘子》《老子》《淮南子》などによって最もよく知りうる。前3世紀初め,自我の撥無(はつむ)によって一の無たる世界に融即せよ,それこそが道をとらえた聖人の主体性だからとする万物斉同の哲学に始まり,そのように世界を統御しつつ同時にそこから超出して自由であれと説く遊(ゆう)の思想に受け継がれ,以後各方面に展開していった。…
※「楊朱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新