中国、先秦(しん)の諸学説や諸説話を集めた一種の百科全書。26巻。秦の呂不韋(りょふい)(?―前235)の撰(せん)。彼は戦国末の趙(ちょう)の富商で、秦の始皇帝(しこうてい)の父、荘襄(そうじょう)王の王位継承に大功があり、丞相(じょうしょう)に任ぜられ、文信侯(ぶんしんこう)に封ぜられて権力を極めたが、のちに醜聞が発覚して自殺した。彼には3000人の食客(しょっかく)がいたといわれ、彼らに著述させたものを編集したのが『呂氏春秋』である。初め「八覧」「六論」「十二紀」の順序であったので「呂覧(りょらん)」ともいうが、現在は「十二紀」「八覧」「六論」の順になっている。この書は二十余万言からなり、「十二紀」の終わりの「序意篇(へん)」によると、人々をして自然の大道を知って、人倫実践の規範を悟らしめることを目的とした書である。「十二紀」は、孟春(もうしゅん)、仲春(ちゅうしゅん)、季(き)春、孟夏、仲夏、季夏、孟秋、仲秋、季秋、孟冬、仲冬、季冬の各紀五篇と序意の計61篇、「八覧」は、有始、孝行、慎大、先識、審分(しんぶん)、審応、離俗、恃君(じくん)の各覧八篇(有始のみ七篇)の計63篇、六論は、開春、慎行、貴直、不苟(ふこう)、似順(じじゅん)、士容の各論六篇の計36篇で構成され、儒家(じゅか)、法家、道家、墨家(ぼっか)、陰陽(いんよう)家、兵家、農家など諸子百家の説が含まれ、秦代思想史研究の唯一の資料である。この書の注は後漢(ごかん)の高誘(こうゆう)のものがもっとも古い。
[中村璋八]
『内野熊一郎・中村璋八著『呂氏春秋』(1976・明徳出版社)』
中国における戦国諸家の説を集めた一種の百科全書。26巻。戦国末の四君(信陵君,春申君,平原君,孟嘗君)が食客を集め勢力を有していたことに対抗して,秦の丞相呂不韋(りよふい)が食客を集め,彼らに編纂させた。前239年ころに完成,呂不韋は都の市門にそれをかけ,一字でも増損できる者がおれば千金を与えると言ったとの話がある。八覧,六論,十二紀で構成され,覧と論はそれぞれ8部8編,6部6編からなる。八覧第1部は1編が失われ,また後人の手が加わった個所もある。覧,論とも儒家をはじめ諸子百家の思想を集成したもの。書を別に《呂覧》というのは,八覧にもとづく。十二紀は,12ヵ月の季節の運行,それに従う万物,人事,吉凶について記したもの。紀ごとに5編に分かれ,それぞれの第1編は《礼記(らいき)》月令と同文である。中国の書物の分類では子部雑家に属すが,かかる百科全書的な書(類書)は,分裂から統一への風潮を背景として出てきたものといえる。
執筆者:冨谷 至
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…〈月令〉は春秋時代の作とされる《逸(いつ)周書》中の一篇としてつとに存在したが,その本文は失われて伝わらない。また,《呂氏春秋》十二紀篇に《礼記》月令篇とほぼ同文を収めるが,ここでは後者によってその一端を見てみよう。まず1年を12月に分かったのち,各月について(1)その月の太陽・星の位置,(2)陰陽五行論にもとづいた,日・帝・神・動物・音・律・数・味・臭・祭祀などの配当,(3)その月に現れる自然現象や動植物の活動,(4)以上に応じた天子の起居,飲食,衣服,道具,(5)および儀礼,政務,法令,農事などを記し,(6)その月にそむいた時令を行えば天変地異が生じる,と結ばれる。…
※「呂氏春秋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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