宮内庁式部職において雅楽を担当する部門。その演奏家を楽師という。1870年(明治3)太政官(だじょうかん)雅楽局に三方楽人(さんぽうがくにん)(京都宮廷・大阪四天王寺・奈良興福寺の楽人)と江戸城内の紅葉山(もみじやま)楽人が召集され、旧来の大曲・秘曲専有の慣習を廃して教習の自由化を促す方針が決められ、76年、88年には各楽家(がくけ)の伝承を集成して雅楽の全楽曲を網羅した明治選定譜が編纂(へんさん)された。その間、雅楽局は71年に雅楽課、88年に雅楽部、1907年(明治40)に楽部と改称されて現在に至っている。
内部は楽長2名、楽長補3名、楽師20余名、事務長4名、および顧問・楽生からなり、洋楽の学習を含め6~7年の修業期間を条件に、民間にも門戸が開放されている。毎年、神武(じんむ)天皇祭・先帝祭・皇霊祭には神楽(かぐら)・東遊(あずまあそび)、また随時、天皇即位式典には大歌(おおうた)・久米歌(くめうた)、葬儀には誄歌(るいか)など、宮中の非公開の儀礼で演奏することが定められている。管絃(かんげん)と舞楽は春秋の2回皇居で公開されるほか、洋楽を演奏する場合もある。
[橋本曜子]
…正祖や高宗は古楽復興に努め,1892年には掌楽院を国楽司と改め,さらに掌楽課と改めた。1910年の日韓併合後は財政難から危機にしたが,田辺尚雄の尽力もあって李王職雅楽部として存続し,1948年大韓民国成立後は,これを国楽として復興保存に努め,現在,国立国楽院その他によって器楽,声楽,舞ともに盛んな演奏活動が行われ,また国楽の研究も盛んである。【三谷 陽子】
〔日本の雅楽〕
【種目】
現在,〈雅楽〉という語は,広い意味において,宮内庁式部職楽部で行われる楽舞(洋楽以外)およびそれと同様式の芸能の総称として用いられている。…
※「楽部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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