江戸中期の儒学者。名は玄輔。字(あざな)は希翊(きよく)。和泉(いずみ)(大阪府)の人。若くして京都に出、初め伊藤仁斎に学んだが飽き足らず、木下順庵(きのしたじゅんあん)の門に転じ、同門の新井白石(あらいはくせき)、室鳩巣(むろきゅうそう)などと親しく交わった。順庵が幕府の儒官に取り立てられると、その縁で和歌山藩に儒官として召し抱えられた。順庵に学びはしたが、その学風は朱子学を墨守せず、博学多識を旨として諸学派を折衷するものであった。中国の歴代の制度に関心をもち、明(みん)の法律の集成である『明律』の研究を行ったところに、学風の特徴が表れている。漢学普及のための啓蒙(けいもう)書の著述にも意を用い、そのなかでは漢詩の入門書の『詩法授幼抄』(1679)がもっとも聞こえる。
[日野龍夫 2016年5月19日]
(高橋昌彦)
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…それは明末・清初風のいわゆる方篆雑体のきわめて装飾的なもので,秦・漢の古印の風格はなかったが,その華麗な作風は世の人に好奇の眼で迎えられた。水戸に住んだ心越の直伝を受けた榊原篁洲をはじめ今井順斎,細井広沢,池永一峯の四家は初期江戸派と称され,互いに交遊があり,明人の篆刻趣味を広く文人のあいだに広めた。これよりややおくれて,元文(1736‐41)から宝暦(1751‐64)にかけて,江戸から浪華(なにわ)に移り住んだ新興蒙所(にいおきもうしよ)が活躍し,初期浪華派を興した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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