中国、前漢の高祖劉邦(りゅうほう)の功臣。呂后(りょこう)の妹を妻とし、武勇をもってもっとも信頼の厚かった臣下。沛(はい)(江蘇(こうそ))の人。もともと犬のと畜を生業(なりわい)としていたが、高祖の子飼いの臣として反秦(しん)の挙兵の当初から武人として活躍した。『史記』樊噲伝が熱情を込めて語るのは「鴻門(こうもん)の会」事件の場面である。劉邦の将来を恐れた項羽(こうう)は酒宴に招いたその席で殺そうとした。宴の外で待機していた噲は、主君の危うきを察知するや剣と盾(たて)を帯びて衛兵を押しのけ闖入(ちんにゅう)、自ら項羽に直面して劉邦の二心なきを説く。その間に劉邦は厠(かわや)に行くと称して脱出できた。描写の最後に著者司馬遷(しばせん)は「噲が飛び込まなかったら劉邦は死んでいたろう」と記す。漢の天下統一後も、左丞相(さじょうしょう)・相国(しょうこく)として諸王の反乱鎮定に功があり、舞陽(ぶよう)侯に封ぜられた。
[春日井明]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報