食肉をとるために家畜を殺し肉とする一連の作業をいうが,遊牧民族をはじめとして屠殺には多くの文化的な事象の反映が見られる。儀礼的に屠殺法を定めている民族も少なくない。
一般に屠殺という行為は,自然界からの生命の略奪であり,放置しておけば再生・増殖する生命の奪取を意味する。そこで自然の再生力を枯渇させないために,生命のシンボルである血を神や自然に返す儀礼が多くみられる。イスラムで,屠殺の際,のどを切って血を流さねば食べてはならぬという規定は,本来的にはこのような考えにもとづくと思われる。他方,死は此岸と彼岸との境におこる出来事である。まさに聖・俗の境におこるものといってよい。そのため死は両界を接合する象徴的媒体となりうる。贖罪等の供犠儀礼は,まさにこの典型例といえよう。儀礼的屠殺であれ,食のための屠殺であれ,屠殺を専業とする者は,ある文化においては聖なるものとみなされ,また否定的にみる文化においては屠殺者は穢れたもの,賤民とみなされ,いずれにしても特別視される場合が多い。
→犠牲
執筆者:谷 泰
遊牧民における屠殺法としては,斬喉法と窒息法,撲殺法がある。このうち,撲殺法は例外的であまり行われることはない。斬喉法とよんだのは,鋭利な刃物で喉首をかき切って屠殺する方法である。この方法は,イスラム化したアラブ系,ペルシア系,トルコ系の遊牧民のあいだでひろく行われている。イスラムの教義では,血は神に属するものとされ,屠殺した家畜の血はすべて大地にかえさなければならない。また,屠殺まえに聖句によって聖化され,イスラム教徒自身の手にかかった肉しか食用に供することはできない。屠殺後の皮はぎと解体は,地面に横たえて行うか,三叉形に組んだ木の棒に後足を吊りさげて行う。屠殺の仕事は,原則として男性の分担とされる。窒息法は,チベット族やモンゴル族などのあいだでみられる。青海省のチベット族は,四肢をしばった紐の一端を家畜の口にまきつけて窒息させる。モンゴル族では,家畜の四肢を紐でしばりあげたあと,脇腹に切れ目をいれ,そこから片手をさしこんで心臓をにぎりしめて屠殺する。これらの屠殺法は,一滴の血も漏らさない点で,斬喉法と対照的である。血は,水洗いした小腸や大腸のなかにつめ,腸詰めの原料として利用する。以上あげた屠殺法のほかに,一部の地域では,刺殺法がみられる。東アフリカの牧畜民などにおいては,心臓を槍でひとつきする屠殺法が行われている。
一般的に,遊牧社会のなかでは,家畜の屠殺の頻度数や頭数はあまり多くない。屠殺を行うのは,やむをえない場合にかぎられている。賓客のもてなしや宗教的儀礼(イスラムの犠牲祭など)などが,屠殺を行う機会にあたる。家畜群のなかで屠殺の対象となるのは,生殖年齢に達していない子どもや不妊の雌,去勢雄などが多い。屠殺後の肉の一部は,近隣へも分配され,社会的交換財としての意味が付与されている。
執筆者:松原 正毅
屠殺の方法は家畜の種類によって異なるが,牛の場合,屠殺,血抜き,頭部と足の切断,皮はぎ,内臓摘出,脊椎分割などよりなり,現在では近代化した屠殺場でのベルトコンベヤ方式による自動化が進んでいる。ヨーロッパでは個人による屠殺は現在は禁止されている。次に肉食の多いヨーロッパでの屠殺の方法と,屠殺業についてみてみよう。
ヨーロッパでの牛の屠殺は,いくつかの方法で行われていた。まず第1は,1m弱の柄の先に2500gほどの鉄塊をつけた屠殺斧によって牛の前頭部に打撃を加えるものである。この屠殺斧にはイギリス式と呼ばれる金づちの先端が細くなり鉤状になったものがあり,主としてイギリスで使われた。第2の方法は,のみに似た特殊な短刀を牛の頸部の後頭骨と頸椎骨の間に打ち込むもので,これで神経を切断して死の苦痛をやわらげようとした。第3に牛の前頭部を先端のとがったボルトを備えたマスクでおおい,それを木づちで強打する方法がある。ボルトは5~6cmほど牛の脳にめり込んで牛が倒れる。また,ガスで神経を麻痺させる方法も使用された。このほかに特殊なものとして,ユダヤ人が犠牲獣として牛の屠殺を行う際のものがある。これは牛を地上に倒して固定し,短刀でのどを切って殺すもので,短刀が刃こぼれをすれば,血が心臓に凝結するためその肉は食べられないとされた。羊,豚などの屠殺はのどを切る方法を基本とした。
屠殺はこのほかの作業として,皮はぎ,内臓摘出などの過程をともなうから,屠殺人のほかに皮はぎ人,内臓屋,皮なめし人などの職業をも付随させていた。近代以前のヨーロッパでは,屠殺は肉の小売に従事する肉屋が同時に行うのが原則であったが,中世の肉屋の同業組合が強固な基盤を諸都市で築いた理由の一つは,こうした付随する職種の人々をも支配したことにあった。しかし中世の都市には十分な屠殺場はなく,肉屋が店先などで屠殺したりしていて,都市の当局者は衛生管理のうえでも大いに神経を使わねばならなかった。病気の家畜を見分ける手段もなく,たとえば足の悪いものや腫物のある家畜などは屠殺が禁じられた。また中世初期にユダヤ人の屠殺した肉はキリスト教徒から毒とみなされた。ヨーロッパで大規模な屠殺場が造られるのは,19世紀になってからである。都市に人口が集中していくのに,たとえばパリでは,19世紀になっても中心部の市場や肉屋の店先や中庭で屠殺が行われ,路上に血が流れているという状態であった。ナポレオンが1810年に初めてパリの外縁部に五つの屠殺場を設置して,これに対処しようとした。近代的な屠殺場ができて,屠殺の仕事はようやく個別の肉屋の手から離れ,屠殺業が独立した業種となり,巨大化していく。肉屋は食肉小売業となり,小規模な営業になる反面,その数は増大した。
→皮 →肉食
執筆者:喜安 朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…そのためヨーロッパの肉屋は中世の早い時期から強固な同業組合を形成し,その営業について細部にわたる規則をつくり,権力者の承認を求めてきた。この場合,肉屋は家畜の調達,屠殺,精肉の調製,食肉販売のすべての過程を担当していた。中世でも都市に専属の屠殺夫が存在した場合もあるが,一般的にいって屠殺が独立した業種となるのは,19世紀の大都市に大規模な屠殺場が造られてからであった。…
…群れの管理効率の観点から,徒食者であり安定を乱す雄は,種つけに最低限必要な頭数を確保したあと,他は不要である。雄を肥育して肉羊とするトルコ系の牧羊民が,雄を去勢し,適度の大きさにまで成長させたあと,適宜屠殺していくのに対し,地中海地域から中近東にかけての牧羊民は,生後2~3ヵ月の雄を大量に屠殺してしまう。この差がどこから生じているのかはともかくとして,繁殖能力のある雄の頭数を削減するのは以上のような理由による。…
※「屠殺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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