横田秀雄(読み)ヨコタ ヒデオ

20世紀日本人名事典 「横田秀雄」の解説

横田 秀雄
ヨコタ ヒデオ

明治〜昭和期の法学者 大審院院長;明治大学学長・総長



生年
文久2年8月29日(1862年)

没年
昭和13(1938)年11月16日

出生地
長野県松代

学歴〔年〕
東京帝大法科大学仏法科〔明治21年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治41年〕

経歴
明治21年司法省に入省。23年判事となり熊谷区裁判所、東京、千葉各地裁、東京、函館各控訴院などを経て、24年大審院判事、大正2年大審院部長、12年大審院長、昭和2年定年退職。大審院では一厘事件タヌキとムジナ事件、男子の貞操義務事件などに関与した。また帝国学士院会員、臨時法制審議会副総裁などを務めた。さらに明治29年以降早大、慶大、明大、法大、中大などで法律を講じ、大正13〜昭和9年明大学長・総長を務めた。著書に「物権論」「債権総論」「債権各論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「横田秀雄」の意味・わかりやすい解説

横田秀雄
よこたひでお
(1862―1937)

裁判官、法学者。文久(ぶんきゅう)2年信濃(しなの)国(長野県)松代(まつしろ)に生まれる。1888年(明治21)帝国大学法科大学卒業後、定年退官するまで裁判官を務めた。その間1923年(大正12)より大審院長となり、電気窃盗事件、一厘(りん)事件、タヌキ・ムジナ事件、虎(とら)の門事件、男子の貞操問題事件など多くの事件に関与した。かたわら民法学者として、早稲田(わせだ)、慶応、中央など各大学の講壇にたち、1924年より34年(昭和9)まで明治大学学長を務めた。『物権法』『債権法』など民法に関する著書もある。昭和12年11月16日没。後の最高裁長官横田正俊(まさとし)の父にあたる。

長尾龍一

『手塚豊「日本の名裁判官――横田秀雄」(『法学セミナー35』所収・1959・日本評論社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横田秀雄」の意味・わかりやすい解説

横田秀雄
よこたひでお

[生]文久2(1862).8.19. 信濃,松代
[没]1938.11.16. 東京
民法学者,裁判官。松代藩士の子。 1888年東京大学卒業後,司法官試補を経て 90年判事となり,東京地方裁判所,東京控訴院,函館控訴院などに勤務,1901年から大審院判事,同部長,23~27年大審院長。のち明治大学学長になった。当時の指導的法曹であるとともに民法学者としても業績を残している。主著『物権法』 (1913) ,『債権総論』 (11) ,『債権各論』 (14) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横田秀雄」の解説

横田秀雄 よこた-ひでお

1862-1938 明治-昭和時代前期の司法官,法学者。
文久2年8月19日生まれ。横田正俊(まさとし)の父。小松謙次郎の兄。大審院判事をへて,大正12年大審院長となる。虎ノ門事件,一厘事件,タヌキとムジナ事件などの名判決で知られた。13年明大学長。学士院会員。昭和13年11月16日死去。77歳。信濃(しなの)(長野県)出身。帝国大学卒。著作に「物権法」「債権総論」。

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367日誕生日大事典 「横田秀雄」の解説

横田 秀雄 (よこた ひでお)

生年月日:1862年8月29日
明治時代-昭和時代の法学者;裁判官。大審院長;明治大学学長
1938年没

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