樫原村(読み)かしわらむら

日本歴史地名大系 「樫原村」の解説

樫原村
かしわらむら

[現在地名]十津川村大字樫原

十津川渓谷、折立おりたち村西北方に立地。十津川郷のうち。寛永郷帳には「かし原」とみえ、村高一〇石。幕府領元禄郷帳では村高四・三一六石となっている。寛文三年(一六六三)大坂の山師福山次郎右衛門によって樫原村領くきの谷に銅山が開発された結果、大きな被害が出た。その後元禄二年(一六八九)代官竹村八郎兵衛(嘉広)の銅山見分に際し、十津川郷は挙村反対し、「かな山留」の立願を行った。


樫原村
かしわらむら

[現在地名]上石津町上多良かみたら

牧田まきだ川左岸にあり、北は馬瀬まぜ村。文禄五年(一五九六)の多良山年貢割帳(西脇文書)に樫原村とみえ、同村新太郎・孫兵衛が「さ谷」「道木」など分として年貢四石余を割当てられている。寛永六年(一六二九)の徳川家光朱印状写(江口文書)に柏原村とみえ、高一四〇石が旗本高木貞俊(北高木家)に宛行われている。元禄郷帳では高二一七石余で、尾張藩領、旗本北高木領・青木右門領の相給。「濃州徇行記」によると尾張藩領七石余、北高木領一四八石余、青木領六一石余。天保六年(一八三五)当村ほか六ヶ村の間で争われていた小倉おぐら山などの山境論争に評定所の裁定が下り、関係村が連署して請書を差出している(「多良郷小山瀬村・欠ノ脇村他五ヶ村山境争裁定請書」福長文書)


樫原村
かしはらむら

[現在地名]上勝町生実いくみ

久保くぼ村の西、瀬津せづ村の南に位置し、樫原谷かしはらたに川が流れる。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図に「樫原村」と記される。正保国絵図では勝浦山坂本さかもと村のうちと考えられ、「勝浦山の内 樫原村」とみえる。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳では勝浦山坂本村の枝村として記載される。貞享三年(一六八六)検地帳(上勝町誌)では田四町三反余・高四七石余、畠二町五反余・高九石余で、同年の上毛帳(同書)によれば、茶・楮・桑・漆などが栽培され、上毛高五斗余。


樫原村
かしばらむら

[現在地名]七宗町川並かわなみ 樫原かしばら

飛騨川左岸の段丘上に位置。近世上吉田かみよしだ四郷の一つで、本郷村とも称した。北は上麻生かみあそう村本郷、東はたけ(現八百津町)、南は野々古屋ののこや村。元禄郷帳では高一〇五石余。「濃州徇行記」によると高六八石余、文化八年(一八一一)の上吉田村田畑覚(井戸文書)では高六九石余・田畑九町六反余。「濃州徇行記」によると家数九三ほど、柴・薪は黒瀬くろせ(現八百津町)下麻生湊(現川辺町)へ出し、冬春は紙を漉き、夏は釜鮎を取り、近村へ出し渡世の助けとする。


樫原村
かしわらむら

[現在地名]美山町大字樫原

大野おおの一〇ヵ村の一。由良川上流右岸に位置し、若狭(高浜)街道に沿った山間集落。川の上流対岸に向山むかいやま村、下流長瀬ながせ(現船井郡和知町)、北部一帯は山地。古代は「和名抄」に記す弓削ゆげ郷に属し、中世は野々村ののむら庄の地。

慶長七年(一六〇二)幕府領、元和五年(一六一九)より園部藩領となる。元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳によると、高九二・七八六石、旧高旧領取調帳では一六一・一二七石。


樫原村
かしばらむら

[現在地名]久瀬村樫原

揖斐川左岸にあり、北に権現ごんげん山がそびえる。枝郷に下平しもだいら村がある(現在集落は消滅)慶長郷帳に「かし原村」とみえ、高三四石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では幕府領。正保郷帳では大垣藩領で、畑三四石余、ほかに小物成として入木四四束・ひそ木四四本・綿一六〇匁。元禄郷帳でも大垣藩領。


樫原村
かしわらむら

[現在地名]那智勝浦町樫原

峯山みねのやまの西側谷間にある。南は坂足さかあし村。「続風土記」は「極山中なれとも地高く海を望むへし、種芸よろしく」と記す。慶長検地高目録には「柏原村」とみえ、村高四五石余。天保郷帳では六三石余となっている。古座組に属した。「続風土記」は村内の社寺として王子権現社、延命えんめい(臨済宗妙心寺派)を記す。王子権現社について同書は、祭神を狩場刑部左衛門として、「昔一踏ひとつたヽらといふ妖賊熊野三山権現の神宝を奪ひ雲取の旅人を掠む、刑部左衛門三山の衆徒の頼に応し妖賊を討つ、其功により新宮本宮よりは各銭百貫文を贈る、那智よりは三千町の寺山を立合山とす、刑部左衛門右の山を色川郷十八箇村に譲り永く郷の助成とす、刑部左衛門死去の後郷民祀りて王子権現と称す」との伝説を記す。


樫原村
かしわらむら

[現在地名]伊勢市樫原町

宮川河口の左岸にある。慶安郷帳(明大刑博蔵)によれば村高一一五石余のうち、畑方が九三石余で、山田奉行支配の幕府直轄領であった。文化二年(一八〇五)の指出帳(徳川林政史蔵)によれば、家数五〇、人数二五六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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