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武寧王陵 ぶねいおうりょうMuryǒng-wang-rǔng

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

武寧王陵
ぶねいおうりょう
Muryǒng-wang-rǔng

韓国忠清南道公州邑北部の丘陵斜面に位置する宋山里古墳群中の一古墳である。 1971年7月6号墳の背後から完全な処女墳が発見され,学術調査を経た結果,誌石銘から百済 25代の武寧王 (523没) 夫妻の墓と認められた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぶねいおうりょう【武寧王陵 Muryŏngwang‐rǔng】

韓国,忠清南道公州郡公州邑内にある三国時代百済の武寧王の王陵。1971年,偶然に発見され調査された。百済中期の王都があった公州の中心から北西約1kmの丘陵地に築かれた,百済中期の十数基からなる宋山里古墳群の一つを構成する。直径約20m内外の円形墳丘のほぼ中心に玄室がくるように埋設された墓室は,塼築(せんちく),南向きの単室墓である。玄室は,平面が南北に長い長方形をなし,その規模は,南北4.2m,東西2.72mを測る。

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世界大百科事典内の武寧王陵の言及

【百済】より

…風納里土城址などから出土した青銅器類からも,初期の百済文化が高句麗の影響をうけていることが知られる。1971年に完全な形で発掘された武寧王陵は,中国南朝の影響を受けた塼(せん)築墳であり,その誌石の文字は北魏形式の優美な楷書であって,当時の東アジアの美術が,百済文化としてここに結晶したといえる。 百済文化の特色は中国や高句麗の文化を受容するとともに,地域文化と巧みに結合し,独特な文化を作りだしたところにある。…

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