歴史学研究会(読み)れきしがくけんきゅうかい

改訂新版 世界大百科事典 「歴史学研究会」の意味・わかりやすい解説

歴史学研究会 (れきしがくけんきゅうかい)

歴史学に関する民間の学術研究団体。前身は1931年2月に結成された庚午会。32年12月,東京大学の史学科を中心とする若手研究者たちが,満州事変直後の反動的潮流の中で,従来の学会の権威主義的傾向に飽きたらず,進歩的,近代的立場歴史研究をめざして緩やかな研究と親睦をかねて創立した。機関誌《歴史学研究》は33年11月創刊された。1930年代に活発な研究活動を行い,ファシズム下に良心的な学術研究活動をつづけたが,戦争の激化弾圧の強化にともない44年全活動を停止し,機関誌も休刊した。46年会を再建,機関誌も復刊し,科学的真理人民との結びつきを掲げ,戦後民主主義時代の学問研究活動の中心的役割を担った。49年から統一テーマによる年度大会を開き,49年〈各社会構成における基本的矛盾について〉,50年〈国家権力の諸段階〉などの大会は,学界に大きな衝撃を与えた。その後も一貫して進歩的立場での民間研究団体として,学問分野では,科学的歴史学の発展と普及に努めている。また教科書問題,〈紀元節〉問題,元号法制化問題などの政治的な諸問題についても,歴史学の立場から活発な発言をつづけ,社会的にも大きな役割を果たしている。1984年現在,会員数約3000,会誌発行部数約1万。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「歴史学研究会」の意味・わかりやすい解説

歴史学研究会
れきしがくけんきゅうかい

歴史学の民間における中心的研究団体。1931年(昭和6)2月数名の歴史家有志で発足した庚午(こうご)会が、翌年12月に発展的に解消し結成された。従来のアカデミズムの権威主義的傾向や、台頭し始めた反動的国粋主義的思想動向に批判と反発をもつ人たちが、自由で豊かな近代的歴史学の確立を期して意欲的な研究活動を開始、33年11月には機関誌『歴史学研究』を創刊した。以後学界に新しい刺激を与え、時局が戦争へと急転するなかで平泉澄(ひらいずみきよし)らの皇国史観に対抗しつつ幅広い研究との交歓の場となっていったが、戦局の激化と統制の強化のため44年には活動を停止し、機関誌も休刊した。

 戦後、1946年(昭和21)1月の「各国君主制の歴史」講演会で活動を再開、歴史学と歴史教育の分離に反対し、科学的真理の尊重と、人民と学問研究の結合を主唱した。49年より大会統一テーマを揚げ、「各社会構成における基本的矛盾について」(1949)、「歴史における民族の問題」(1951)の提起など、戦後の歴史学をリードした。さらに歴史研究の自由、教科書問題への発言も行い、科学的歴史学の充実と歴史家の社会的責任にこたえようとしている。

[松島榮一]

『歴史学研究会編『歴研半世紀のあゆみ』(1982・青木書店)』『歴史学研究会編・刊『戦後歴史学を検証する――歴研創立70周年記念』(2002)』

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デジタル大辞泉プラス 「歴史学研究会」の解説

歴史学研究会

日本の学術研究団体のひとつ。欧文名は「The Historical Science Society of Japan」。

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世界大百科事典(旧版)内の歴史学研究会の言及

【東洋史学】より

…これらを背景に30年前後には講壇歴史学に不満をもつ若い学徒が新しい学問の樹立をはかった。東京における歴史学研究会の創設(1932),京大における専門雑誌《東洋史研究》の発刊(1935)などがそれである。前者は単なる考証学の枠をこえた社会史を目ざし,後者はシナ学的文化主義からの脱出をはかるものであった。…

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