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皇国史観 コウコクシカン

世界大百科事典 第2版の解説

こうこくしかん【皇国史観】

近代日本史学史上の一潮流。日本の歴史を〈国体〉の顕現・発展としてとらえる歴史観で,1930年代半ばから敗戦に至る時期に確立,全盛期をもつ。この史観は次の三つの内容をその特徴としている。(1)日本は神国であり,皇祖天照大神の神勅(〈天壌無窮の神勅〉)を奉じ,〈三種の神器〉を受け継いできた万世一系の天皇が統治してきたとする,天皇の神性とその統治の正当性永遠性の主張。(2)日本国民は臣民として,古来より忠孝の美徳をもって天皇に仕え,国運の発展に努めてきた,とする主張。

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大辞林 第三版の解説

こうこくしかん【皇国史観】

日本の歴史が万世一系の天皇を中心として展開されてきたと考える歴史観。日中戦争から太平洋戦争期に、国民統合と戦争動員に大きな役割を果たしたが、敗戦により凋落ちようらく

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

皇国史観
こうこくしかん

アジア太平洋戦争期にいわば国教化した天皇中心の超国家主義的日本史観。その根源は幕末の尊攘(そんじょう)思想、平田国学、明治の国粋主義などまでさかのぼりうるが、とくに昭和前期平泉澄(ひらいずみきよし)らにより提唱されたものをさす。唯物史観歴史学の発展に対し危機意識を強めた平泉らは、「万世一系」の「国体」とそれを基軸として展開してきたとみる日本歴史の優越性を強調し、「大東亜共栄圏」思想に歴史的裏づけを与えようとした。その意味で皇国史観は非科学的であるのみならず、独善的な自国中心の歴史観で、天皇制と帝国主義を支えるイデオロギーであった。平泉やその追随者たちは戦時中軍部・文部省と深く結び付き、国民の歴史観に強い影響を与えた。敗戦に伴い皇国史観はその存在理由を失うとともに、日本歴史の科学的研究の進展で急速に消滅に向かうが、平泉の追随者のなかには文部省(現、文部科学省)の教科書調査官などとなって、皇国史観の温存を図る動きを根強く続ける者もいた。[永原慶二]
『永原慶二著『皇国史観』(1983・岩波書店)』

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世界大百科事典内の皇国史観の言及

【平泉澄】より

…1919年東京帝国大学文学部国史学科を卒業し,講師,助教授を経て,35年教授となった。日本中世史の研究者であったが,教授就任の前後から熱烈な皇国史観の主唱者となり,戦時下の国史学界をリードするとともに,軍部との関係を深め,社会的にも大きな影響力をもった。太平洋戦争降伏阻止のため皇居を占拠するクーデタ計画(宮城事件)を立てた陸軍将校たちもその信奉者であった。…

【歴史教育】より

…さらに17‐18年の臨時教育会議では忠良な帝国臣民の育成にとっての小学校歴史教育の重要性が確認され,26年より教科名も〈国史〉と改称された。以後,教科書改訂のたびに皇国史観の色彩が強められ,日本は神国であるとの記述が増え,たとえば元寇のさいに吹いた大風は34年改訂以降,〈神風〉と記されるようになった。 一方,中等学校では日本史のほか,外国史も教授されたが,これについて1894年,那珂通世が東洋史と西洋史に二分することを提案,99年の中学校令にもとづく1902年制定の中学校教授要目により,第3学年で東洋史,第4,5学年で西洋史を扱うこととされ,とくに日本と関係する事項に留意して教授するよう指示された。…

※「皇国史観」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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