日本大百科全書(ニッポニカ) 「比嘉康雄」の意味・わかりやすい解説
比嘉康雄
ひがやすお
(1938―2000)
写真家。琉球弧の島々(鹿児島から台湾までの約1200キロメートルの大洋上に連なる奄美諸島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島)に伝わる祭祀・信仰の世界をテーマに、長期にわたり丹念な記録作業に取り組んだ。フィリピン、ミンダナオ島で沖縄から移住していた父母のあいだに生まれる。第二次世界大戦終結後、沖縄本島へ両親とともに引き揚げる。1958年(昭和33)コザ市(現沖縄市)のコザ高校を卒業し、琉球警察学校での研修を経て嘉手納(かでな)警察署に巡査として勤務、在職中に事件現場での鑑識を目的として写真撮影を始める。
1968年アメリカ軍嘉手納基地での戦闘機墜落爆発事故を転機として警察を辞め、写真家を志して上京。東京写真専門学院に入学。1971年同校を卒業するにあたり、それまで沖縄で撮影してきたさまざまな日常的光景のスナップショットによる個展「生れ島・沖縄」(ニコンサロン、東京)を開催。沖縄がアメリカ統治下から日本へ返還された1972年、同展の出品作を中心にまとめた写真集『生れ島・沖縄』を上梓。同年北海道・稚内(わっかない)から南へ日本列島縦断の撮影行を行い、その報告「沖縄から本土を見る」を『カメラ毎日』誌1973年3月号に発表する。
1973年民俗学者谷川健一(1921―2013)に同行し、宮古島狩俣(かりまた)の祖神祭「ウヤガン」(森に数日間こもって祖霊神と一体化した巫女(みこ)たちが現世の集落に現れ村人たちを寿(ことほ)ぐ、旧暦10月から12月にかけて行われる祭)を撮影。以来、ライフワークとして、琉球弧に受け継がれる祭祀世界の記録撮影に取り組むようになる。とくに1975年からは、久高(くだか)島のすべての祭祀・民俗儀礼を25年間にわたり継続して取材。1976年、島々の祭祀を主体として担う女たちの姿をとらえたフォト・ルポルタージュ「おんな・神・まつり」で『太陽』賞受賞。1978年、久高島の聖地「クボー御獄(うたき)」で12年に一度行われる神女就任儀礼「イザイホー」を記録撮影する(この後、島の過疎化により神職継承者がいなくなりイザイホーの儀礼は途絶する)。1979年、写真集『神々の島――沖縄久高島のまつり』(共著)を上梓。
1989年(平成1)より、それまで琉球弧の各地で撮りつづけてきた祭祀の記録写真をまとめ、自ら執筆した解説を交えた写真集シリーズ『神々の古層』全12巻を刊行しはじめ、1993年に完結。同シリーズで日本写真協会年度賞、日本地名研究所風土研究賞を受賞。また同年、長年にわたる民俗調査をまとめた研究書『神々の原郷 久高島』を上梓。最後の著作『日本人の魂の原郷・沖縄久高島』(2000)を書き下ろし、刊行直前に61歳で死去。2001年那覇市民ギャラリーで回顧展「光と風と神々の世界」が開催された。
[大日方欣一]
『比嘉康雄・谷川健一著『神々の島――沖縄久高島のまつり』(1979・平凡社)』▽『『神々の古層』全12巻(1989~1993・ニライ社)』▽『『生れ島・沖縄――アメリカ世から日本世へ』(1992・ニライ社)』▽『『神々の原郷 久高島』上下(1993・第一書房)』▽『『日本人の魂の原郷・沖縄久高島』(集英社新書)』▽『「光と風と神々の世界」(カタログ。2001・比嘉康雄回顧展実行委員会)』