久高島(読み)くだかじま

日本歴史地名大系 「久高島」の解説

久高島
くだかじま

[現在地名]知念村久高

沖縄島南部の知念ちねん岬から中城なかぐすく湾を挟んで東方約五・三キロに位置する。姑達佳とも記す(中山伝信録)。面積一・三四平方キロ、最高点一七・五メートルの低島(サンゴ島)。島は北東―南西方向に延びる細長い形をし、長さは約三・三キロ、最大幅約〇・六キロ。全域が琉球石灰岩で構成され、全体として西側(中城湾側)が高く、東側(太平洋側)が低い。西側は標高一〇―一五メートルの海食崖が縁取り、崖下にヤグルガー、ミーガー、イジャイガー、大石うぷしガーなどの湧水が分布する。生活用水は一九七八年(昭和五三年)に沖縄島から海底送水される前まではこの湧水と雨水を利用してきた。島の東側は標高三メートル程度の離水礁で構成されるが、伊敷いしき浜・ウパーマなどの小規模な砂浜が断続的に分布する。離水礁の上には標高五―一〇メートルの連続性のよい海岸砂丘が発達。離水礁と砂丘はアダンモンパノキクサトベラなどの海岸植物に覆われる。伊敷浜の海岸植物群は県指定天然記念物。砂丘の背後には一〇〇年くらい前に植林・造成されたといわれる海岸防風林があり、主要樹種はフクギテリハボクである。島の北部はビロウの群落に広く覆われ、一帯の植生は県指定天然記念物。

〔先史時代・古琉球・近世〕

島の西海岸にある貝塚時代前期の久高貝塚が最も古い。島の北東部海岸砂丘上にある後期のシマシヤーマ貝塚はアグンハミ貝塚ともいう。尖底土器やくびれ平底土器が出土している。同後期の遺跡にはヒジヘ浜貝塚・伊敷浜貝塚・ヤグル貝塚がある。イザイホーの儀式が行われる御殿庭うどうんみやー一帯はグスク時代の御殿庭遺跡である。久高島は琉球王権にとって重要な聖地であった。往昔、玉城たまぐすく間切百名ひやくな(現玉城村)の白樽夫婦が来島して農耕を始め、その子孫が代々外間根人を務めたという(遺老説伝)。これを始祖として御殿庭に祀っているが、村立ての始祖はアナゴノ子夫妻で、伊敷泊に漂着した麦・粟・黍・檳榔・アザカなど七種の穀物・樹木の種を植え、やがて森嶽が創建されたとする所伝もある(琉球国由来記)。「中山世鑑」巻一によれば、阿摩美久(アマミキョ)が天に上り、五穀の種子を乞下り、麦・粟・菽・黍の数種をはじめて久高島に蒔いたという。「球陽」天孫氏の条によれば、麦・粟・黍が天然に久高に生じ、また稲苗が知念ちにん玉城たまぐすく(現玉城村)に生じたので、領民に初めて農事が興ったという。

こうした由来譚とともに王国の二大行事が当島で古くから執り行われてきた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「久高島」の意味・わかりやすい解説

久高島
くだかじま

沖縄本島南部、知念岬(ちねんみさき)の東方海上5キロメートルに位置し、中城湾(なかぐすくわん)と太平洋との区境をなす島。沖縄県南城市(なんじょうし)に属し、面積1.38平方キロメートル。最高標高17メートルの細長い低島。全島が琉球(りゅうきゅう)石灰岩からなる海岸段丘で形成されている。外洋に面した海岸は裾礁(きょしょう)からなるサンゴ礁の発達が顕著であるが、内湾側は浅海にあった枝サンゴ群集がオニヒトデの被害で1980年ごろ死滅した。また島の周辺には裾礁や台礁が連続し、美しいサンゴ礁景観を示している。

 近世、近代は航海業で活躍していたが、第二次世界大戦前にはカツオ漁八重山(やえやま)列島から南洋諸島まで進出した。現在は半農半漁。ここは「神の島」として知られ、12年に一度行われる「イザイホー」は女子による古代祭祀(さいし)神事を残す行事として有名であるが、後継者不足のため、1978年(昭和53)以降は行われていない。対岸の知念半島にある斎場御嶽(せいふぁうたき)(沖縄における御嶽の中心的存在)とともに、沖縄の主要な聖地となっている。そのほか、古くからの地割制度がいまなお残存することでも知られる。古い集落である久高と外間(ほかま)が合併されて現在1字(あざ)(久高)を構成する。対岸の安座真(あざま)港から毎日定期船があり、夏には海水浴でもにぎわう。人口268(2009)。

[目崎茂和]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「久高島」の意味・わかりやすい解説

久高島
くだかじま

沖縄県沖縄島南東岸,知念岬の東方約 5kmの海上にある島。北東―南西に細長く低平で,南城市に属する。琉球の始祖アマミキョが降臨し五穀を初めて伝えたところとされ,「神の島」と呼ばれる。王朝時代には国王がキコエオオキミ(聞得大君。巫女の最高職)を伴って来島し,神を拝したといわれる。ノロの制度をはじめ,古くからの祭礼や儀式も数多く残され,民俗学的に貴重な島とされる。なかでも 12年に一度,午年に行なわれるイザイホーという祭礼が有名。半農半漁の島で,耕地は原始共有制を残している。特産物にエラブウミヘビ(エラブウナギ)がある。電気と水は本島から海底を通じて送られている。本島の馬天から船便がある。面積 1.38km2。人口 295(2005)。

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改訂新版 世界大百科事典 「久高島」の意味・わかりやすい解説

久高島 (くだかじま)

沖縄県,沖縄島(本島)南部,知念半島の東方海上5kmにある島で,南城市に属する。琉球石灰岩からなる細長い低平な島で,面積1.4km2,人口259(1995)。琉球開闢(かいびやく)神話にも登場する聖なる島として知られ,五穀の種子が最初に漂着した地とされている。古くは琉球王みずから久高島に渡り親拝があったといわれる。また12年目ごとの午年に行われるイザイホーの祭事はノロを中心とする女子の祭祀(さいし)組織によって営まれている。島の産業は半農半漁で,集落は南西端に位置し,耕地は部落共有で,明治の土地整理以前の地割制の跡が今なお残っている。
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デジタル大辞泉プラス 「久高島」の解説

久高島

沖縄県、沖縄本島南部、中城湾(なかぐすくわん)の湾口南端の東沖約5キロメートルに位置する島。「くだかじま」と読む。面積約1.38平方キロメートル。行政的には南城市に属する。琉球神話の女神、アマミキヨニライカナイから降り立ち沖縄の国づくりを始めた地とされる。

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世界大百科事典(旧版)内の久高島の言及

【イザイホー】より

…沖縄県島尻郡知念村字久高(くだか)に伝わる祭事。12年に1度午(うま)年の旧11月15日から5日間にわたって行われ,久高島で生まれたナンチュと呼ばれる30歳から41歳までの女性が〈みこ〉としての資格を得て,ノロを頂点とする祭祀集団に加入して神女になる儀式。祭りに先立つ1ヵ月前から祭祀の主宰者であるノロや先輩格のヤジクが,今度初めて祭りに参加するナンチュを率いて島内の聖所を巡拝する〈御願立(おかんだて)〉の行事をすませる。…

【沖縄[県]】より

…久米島にあって〈聞得大君〉に直属し,同島のノロを統轄していた神官は〈君南風(チンベー)〉とよび,八重山のオヤケ・アカハチの反乱征伐(尚真王24年,1500年)に功ありとして恩賞に君南風御殿を授かったことで知られ,三十三君の一つである。国王および〈聞得大君〉と深い関係をもつ久高(くたか)島は開闢(かいびやく)伝説でも名高く,知念(ちねん),玉城(たまぐすく)とともにカミグニとされた。知念村久手堅にある斎場御嶽(さいふあうたき)は開闢降臨の地とされ,久高島への遥拝所でもあり,聞得大君の〈御新下(おあらおり)〉という就任儀礼では参籠が行われた。…

※「久高島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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