毛谷村(読み)けやむら

日本歴史地名大系 「毛谷村」の解説

毛谷村
けだにむら

[現在地名]智頭町毛谷

篠坂しのざか村の東、千代川沿いに位置し、右岸(北岸)智頭街道が通る。集落は同川両岸にあるが、同街道の山寄りに発達しているのが本集落。篠坂集落から当集落まではおよそ八町で、その間に毛谷峰岐があり、出茶屋があった(因幡志)左岸に枝村酒清水さかしみずがあり(同書)、同所に祀られていた清水神社(生土荒神)の上に清水があり、その清水が酒気をおび霊地となっていたという。

酒清水に左近さこん城跡がある。二の丸以下は当地にあるが、本丸は篠坂にあるため篠坂城ともいう。城跡は標高五〇〇―六〇〇メートルの所にあり、麓には二基の五輪塔がある。伝えによれば城主小宮山氏で、当村の与惣左衛門はその子孫で代々小宮山氏を称していたという。小宮山家には数通の中世文書が伝わり、文安五年(一四四八)の文書に「知頭郡草部保内酒清水」とみえ、小宮山備前入道宗珠の名が記されている(因幡民談記)草部くさかべ保は古代の智頭郡日部くさかべ(和名抄)の地にたてられた保であろう。また寛正三年(一四六二)一二月日の酒水涌泉坊譲状(因幡志)によれば、涌泉坊は「智頭郡南方之内酒水名」の「菅町之田」を道観之孫兵衛五良に譲渡している。

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百科事典マイペディア 「毛谷村」の意味・わかりやすい解説

毛谷村【けやむら】

浄瑠璃,またこれに基づく歌舞伎劇。本外題彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)》。梅野下風・近松保蔵作。1786年初演。1586年の毛谷村六助仇討(あだうち)を脚色。父吉岡一味斎を京極内匠に討たれた女武芸者お園が,許婚(いいなずけ)六助の助太刀で仇討を遂げるまでの話。お園が六助と巡りあう九段目通称〈毛谷村〉の場が有名。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「毛谷村」の解説

毛谷村
(通称)
けやむら

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
彦山権現誓助剣 など
初演
寛政2.7(大坂・浅尾弥太郎座)

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世界大百科事典(旧版)内の毛谷村の言及

【彦山権現誓助剣】より

…出勤の太夫は,初世豊竹麓太夫,3世竹本内匠太夫,3世竹本政太夫,2世竹本氏太夫(のちの4世政太夫)ほか。実録《豊臣鎮西軍記》に毛谷村六助の話が伝えられているが,宮本武蔵の物語から作意を得たものともいわれる。長州藩の武芸師範吉岡一味斎は試合の遺恨により,京極内匠に闇討されて殺される。…

※「毛谷村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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