民間教育研究運動(読み)みんかんきょういくけんきゅううんどう

改訂新版 世界大百科事典 「民間教育研究運動」の意味・わかりやすい解説

民間教育研究運動 (みんかんきょういくけんきゅううんどう)

教職員,教育学者,各専門分野研究者,ときには父母も参加し,政府,公共団体,企業さらには教職員組合からの財政的援助を受けず,自主的に教育を科学的に研究し,たえず教育実践を改革・推進する運動。この語は1950年代前半から使用され始めたが,同時に第2次大戦前にさかのぼり,おもに1920年代末から30年代にかけて展開された生活綴方などの教育運動をもふくめて使用されるようになった。民間教育研究運動はこれらの時期の日本の教育界に独特の運動であるが,それに先立ち,あるいは諸外国にも教育改革との関係でこれに近い運動はあった。

 近代の教育改革は,政府や公共団体による制度改革以前に,一定の主張をもつ民間の個人や団体によって進められることがあった。日本では明治初頭,福沢諭吉ら啓蒙的洋学者による教育改革の提唱があり,またキリスト教団による幼稚園や女学校の経営があり,これらは教育の普及,幼児教育・女子教育の推進に先進的役割を果たした。また明治中期以降には義務教育費国庫負担促進や実業教育振興などの運動があり,半官的な帝国教育会(後の大日本教育会)も教育行政に対して一種圧力団体となっていた。一方,欧米では20世紀初頭,〈新教育〉の運動が国際的に教育改革を促す役割を果たし,日本でも大正中期にその影響を受け,児童中心主義,自由主義,生活主義などの主張をかかげた新教育・新学校の運動が展開され,また作家,詩人画家,作曲家らによる芸術教育運動もさかんになった。これらはヒューマニズムリアリズム基調とした運動であったが,これらの運動によっては日本資本主義・天皇制権力への批判は不可能であり,したがって教育改革は実現できないとする人々によってプロレタリア教育運動新興教育運動)が進められた。それは階級闘争としての教育実践・理論の展開で,1920年代末に起こされたが,30年代前半には国家権力により弾圧された。新教育運動とこの階級闘争としての教育運動との両者の教育理論・実践を批判的に継承しながら貧困と因襲のなかで苦悩する子どもの人間的成長をめざす教師たちによって生活綴方運動が行われたのは30年前後からである。これは東北農村の教師などによって始められ,東京下町や山陰その他の地方へ広がった。また生活の事実から学ばせるだけでなく,生活現実を批判する武器として科学的認識を育て,学級内外での文化活動を重視した生活学校の運動も,ファシズム化した状況のなかで展開された。これらはいずれも国定教科書の枠をこえた教育活動であり,30年代後半以降,当局による弾圧を受けた。一方1931年から,観念的な教育学に対して教育の事実の科学的研究を志す教育学者,心理学者により岩波講座《教育科学》が刊行され,その考えを継承して37年に教育科学研究会が結成され,生活綴方をはじめ教育運動に参加していた教師がここに結集し,この会は戦時中の民間教育研究運動最後のよりどころとなった。会は科学的研究をふまえて教育改革を志向したが,44年解散を余儀なくされ,いっさいの教育運動は抑えられた。

 第2次大戦後,戦前からの運動の担い手であった教師たちはいち早く教員組合結成に努力するとともに,46年4月には民主主義教育研究会を結成して民間教育研究運動に乗り出したが,50年前後,占領軍の権力を背景に行われたレッドパージなどにより停滞した。運動の再建は51年のサンフランシスコ講和条約・日米安保条約調印の時期,つまり憲法・教育基本法体制の空洞化が始まる時期であり,日教組が教育研究活動を開始するのも同じ51年であった。以後,教育科学研究会,日本生活教育連盟,日本作文の会,歴史教育者協議会,数学教育協議会,全国生活指導研究協議会など,80年代中葉には40余団体が日本民間教育研究団体連絡会(1959)に結集している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android