水無瀬(読み)ミナセ

デジタル大辞泉 「水無瀬」の意味・読み・例文・類語

みなせ【水無瀬】

大阪府北東部、島本広瀬古称後鳥羽上皇離宮のあったところで、上皇を祭る水無瀬神宮がある。水無瀬の里。

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精選版 日本国語大辞典 「水無瀬」の意味・読み・例文・類語

みなせ【水無瀬】

  1. [ 1 ]みなせがわ(水無瀬川)[ 一 ]
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 大阪府三島郡島本町広瀬の一帯の古称。山城国(京都府)との境にあり、平安時代天皇の狩猟地となり、後鳥羽上皇の離宮も置かれた。水無瀬神宮がある。
    2. [ 二 ] 謡曲。四番目物。喜多流。作者未詳。摂津国水無瀬の為世(ためよ)は出家して高野山にいたが、故郷をなつかしんで水無瀬の里に帰ると、幼い娘と息子とが父とも知らずわが家に入れて、亡き母の回向を願う。為世は親子の名のりをしたい気持を抑えて読経していると、妻の亡霊が現われて父の無情を責めるが、やがて親子を引き合わせ、みずからも成仏する。古名「為世」。

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改訂新版 世界大百科事典 「水無瀬」の意味・わかりやすい解説

水無瀬 (みなせ)

大阪府三島郡島本町の広瀬・東大寺付近の古地名吉田東伍大日本地名辞書》には〈島本村大字広瀬是なり〉とあるが,古くは東大寺をも含んだ地域,すなわち水無瀬川西岸につくった扇状地の名称である。この付近は,《日本後紀》などに〈水生野(みなせの)〉,《東大寺文書》に〈水成荘〉とあり,本来,水のつくった野つまり扇状地の意味である。この地域は,756年(天平勝宝8)東大寺に勅施入されて水無瀬荘となり,水陸交通の要衝ともなった。広瀬で桂川に合流する水無瀬川は歌枕で,この地に離宮水無瀬殿を営んだ後鳥羽上皇の,〈見わたせば山もと霞む……〉の歌はよく知られる。上皇の隠岐配流後は水無瀬信成・親成父子が離宮を守り,上皇の没後御影堂を建てて菩提を弔った。この御影堂は1494年(明応3)上皇の霊を迎えて水無瀬神となり,1873年官幣中社,1939年水無瀬神宮となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「水無瀬」の意味・わかりやすい解説

水無瀬
みなせ

大阪府北東端、三島(みしま)郡島本町の天王山(てんのうざん)(270メートル)の西麓(せいろく)、水無瀬川と淀川の合流地。東大寺領水無瀬荘で山水の景勝地として知られ、平安時代には後鳥羽上皇の離宮が置かれた。「見渡せば山もと霞(かす)むみなせ川夕べは秋と何思ひけむ」(『新古今集』巻1)など古歌にも詠まれている。離宮跡には水無瀬神社がある。阪急電鉄京都線水無瀬駅がある。

[樋口節夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「水無瀬」の意味・わかりやすい解説

水無瀬
みなせ

大阪府北東部,島本町南部,水無瀬川と淀川の合流点付近の地名。平安時代は桓武,嵯峨天皇らの狩猟地,大宮人の行楽地として知られた。後鳥羽,土御門,順徳の3上皇をまつる水無瀬神宮があり,付近は史跡に富む。

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