改訂新版 世界大百科事典 「永仁の徳政」の意味・わかりやすい解説
永仁の徳政 (えいにんのとくせい)
1297年(永仁5)3月,鎌倉幕府の発令した徳政令。そのおもな内容は,(1)今後御家人所領の売買・質入れを禁止する,(2)すでに売買・質入れされた所領は,無償で本主に返付させる,(3)ただし買得安堵状を下付されたもの,または20年の年紀を超過したものは除外する,(4)債権債務に関する訴訟を受理しない。債権確認の下知状をもつものでも,債務不履行の訴えをとりあげない,(5)越訴(おつそ)制を廃止する,の5点である。立法直後の4月,常陸の留守所が本法令を適用し,6月には山城で徳政忌避のため売券とともに譲状が作成されるなど社会的反響はきわめて大きかった。法の骨子は(2)であったが,これとても1285年(弘安8)ころに無償返付の先行法の存在がほぼ確認されており,なぜ他の徳政諸法に比べて格段の法効力をもったのか明らかではない。とくに注目されるのは,立法者は少なくとも所領の売却人は御家人に限定し,御家人所領の保護という伝統的政策を保持しているにもかかわらず,実際には御家人を含まない売買契約にも波及した点であろう。この年の2月のすい星出現や,関東立法後六波羅にこの法を伝達するまで4ヵ月近くを要した点などを考慮に入れれば,この法を単に幕府独自の判断で立法された法とみなすことはできず,弘安以後深い連関を保ちながら京都朝廷と幕府双方で進められてきた政治改革の一環として理解すべきであろう。また徳政令とは一見無縁の越訴制の廃止を同時に立法したことの意味も明らかではないが,このころほぼそのピークを迎えつつあった北条氏嫡流(得宗)による専制体制の確立のために,越訴制の存続は一つの障害であり,徳政令という御家人保護法との抱合せによって一挙にその廃止を試みたとみる説もある。なお翌1298年(永仁6)2月,越訴制は復活し,このとき,5年令によって禁止されていた所領売買・質入れ,金銭の貸借等はいずれもその合法性を回復した。この法を〈徳政令の廃止〉とする古くからの定説は誤りで,5年令の骨子である5年以前売買・質入れ地の無償返付は6年以後も有効であった。
執筆者:笠松 宏至
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報