1936年青森市生まれ。高校卒業後、米軍三沢基地内で働いていた際に知り合った将校の紹介で米UPI通信に入社。ベトナム戦争中に撮影した「安全への逃避」を含む写真で66年に日本人として2人目のピュリツァー賞を受賞したほか、米軍の車両がベトナム人兵士の遺体を引きずる様子を撮った「泥まみれの死」など戦場の写真で数々の賞を受けた。70年にカンボジアで取材中に銃撃され、34歳で死去した。
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出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報
フォトジャーナリスト。青森市生まれ。ベトナム戦争が泥沼化の一途をたどっていた1960年代、その最前線では数多くの日本人写真家が活躍していた。63年(昭和38)7月の岡村昭彦のベトナム、サイゴン入りを皮切りに、拡大し続けるインドシナ戦線に続々と駆けつけ取材活動を行ったのである。沢田もまたそうした一人であり、秋元啓一(1930―79)、嶋元啓三郎(1937―71)、石川文洋(ぶんよう)(1938― )らとともに、戦争のなまなましい惨状を世界中に発信した。
中学生のときに初めて自分のカメラを購入して以来、写真に親しんでいた沢田が、写真家としての道を選択した直接のきっかけは、1954年青森高校卒業後、米軍三沢基地内の写真店で働きはじめたことである。大学受験に失敗した後、まず、写真家小島平八郎(1895―1973)、一郎(1924―64)父子が青森市内で営んでいた小島写真機店に勤務。2か月後には小島の親戚が基地内で経営する店に移ることになるのだが、そこでアメリカ人将校やその家族の肖像写真を撮影するうちに本格的に写真にのめりこみ、次第に写真家を志すようになった。61年夏、25歳のとき妻サタ(1925― )とともに上京。その年の12月、偶然出会った三沢時代の米軍将校の紹介でアメリカの二大通信社の一つであるUPI通信の東京支局に入社し、フォトジャーナリストとしてのスタートを切った。
65年2月緊迫した状況の続くベトナムに自費取材を敢行し、7月にはUPIサイゴン支局特派員に任命され本格的に取材活動を開始。同年9月南部海岸地域のクイニョン市北方ロクチュン村で撮影された「安全への逃避」は、この年の報道写真展グランプリ、およびUSカメラ賞、翌年のアメリカ海外記者クラブ賞、ピュリッツァー賞を受賞し、一躍沢田は国際的に知られる存在となった。戦火に見舞われた村から避難するために、首まで水に浸かりながら必死で河を渡ろうとする2組の母子を画面いっぱいにとらえたその写真は、戦争の切迫した惨状を伝えると同時に、写真家自身の人間そのものへの視線や弱者に対する篤実な心情を伝えるものとなっており、沢田の戦争写真の特質をあますところなく伝える代表作となっている。
66年には、ひき続きベトナム戦争に材をとった「泥まみれの死」と「敵をつれて」が世界報道写真展ニュース部門で1位と2位を独占するなど精力的に活動を続け、つぎつぎに国際的な賞を受賞。68年9月UPI香港(ホンコン)支局写真部長として転任し、いったんはベトナム戦争から離れるものの、70年1月には再びサイゴン特派員となって前線に復帰した。8月からはプノンペン支局を拠点に戦火のおよんだカンボジアでの取材を開始したが、同年10月28日夕刻、UPIプノンペン支局長ジェシー・フランク・フロッシュ Jesse Frank Froschとともにプノンペン近郊で取材中、国道2号線において銃弾を浴び死亡。翌年、カンボジアでの一連の取材に対してロバート・キャパ賞が授与された。
[河野通孝]
『『戦場――沢田教一写真集』(1971・毎日新聞社)』▽『『泥まみれの死――沢田教一ベトナム写真集』(講談社文庫)』▽『沢田教一写真、鍵和田良輔・豊崎博光編『サワダ――残された30,000枚のネガから 青森・ベトナム・カンボジア』(1990・くれせんと)』▽『沢田サタ著『沢田教一――ベトナム戦争』(1989・くれせんと)』▽『共同通信社編『戦場――二人のピュリツァー賞カメラマン 澤田教一・酒井淑夫写真集』(2002・共同通信社)』▽『青木冨貴子著『ライカでグッドバイ――カメラマン沢田教一が撃たれた日』(文春文庫)』
昭和期の報道カメラマン
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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