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沢田教一 さわだ きょういち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

沢田教一 さわだ-きょういち

1936-1970 昭和時代後期の報道写真家。
昭和11年2月22日生まれ。36年UPI通信社東京支局に入社。ベトナム戦争時にサイゴン支局に勤務。41年ベトナム人母子を撮影した「安全への逃避」でピュリッツァー賞。昭和45年10月28日プノンペン南方でゲリラに銃撃され,死去。34歳。翌年写真集「泥まみれの死」が刊行された。青森県出身。青森高卒。
【格言など】あとしばらくいたら「まとまった仕事」ができると思っています(死の1ヵ月前,妻へあてた手紙)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

沢田教一

1936年青森市生まれ。米軍三沢基地内のカメラ店でカメラの腕を磨き、61年、米UPI通信社東京支局に入社。65年にベトナムサイゴン支局に赴任し、「安全への逃避」を撮影。66年にはベトナム戦争の報道で、米のピュリツァー賞を受賞した。70年10月、カンボジア取材中に銃撃されて亡くなった。(写真は66年撮影、沢田サタさん提供)

(2016-11-05 朝日新聞 夕刊 1総合)

沢田教一

1936年青森市生まれ。米軍三沢基地内のカメラ店で撮影の腕を磨き、61年、米UPI通信社東京支局写真部に入社。65年にベトナムのサイゴン支局に赴任し、代表作「安全への逃避」を撮影。同年世界報道写真コンテスト第1位に選ばれ、翌年にはベトナム戦争の報道でピュリツァー賞を受賞する。70年10月、カンボジア取材中に銃撃されて亡くなった。

(2016-12-07 朝日新聞 朝刊 青森全県・1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

沢田教一
さわだきょういち
(1936―1970)

フォトジャーナリスト。青森市生まれ。ベトナム戦争が泥沼化の一途をたどっていた1960年代、その最前線では数多くの日本人写真家が活躍していた。63年(昭和38)7月の岡村昭彦のベトナム、サイゴン入りを皮切りに、拡大し続けるインドシナ戦線に続々と駆けつけ取材活動を行ったのである。沢田もまたそうした一人であり、秋元啓一(1930―79)、嶋元啓三郎(1937―71)、石川文洋(ぶんよう)(1938― )らとともに、戦争のなまなましい惨状を世界中に発信した。
 中学生のときに初めて自分のカメラを購入して以来、写真に親しんでいた沢田が、写真家としての道を選択した直接のきっかけは、1954年青森高校卒業後、米軍三沢基地内の写真店で働きはじめたことである。大学受験に失敗した後、まず、写真家小島平八郎(1895―1973)、一郎(1924―64)父子が青森市内で営んでいた小島写真機店に勤務。2か月後には小島の親戚が基地内で経営する店に移ることになるのだが、そこでアメリカ人将校やその家族の肖像写真を撮影するうちに本格的に写真にのめりこみ、次第に写真家を志すようになった。61年夏、25歳のとき妻サタ(1925― )とともに上京。その年の12月、偶然出会った三沢時代の米軍将校の紹介でアメリカの二大通信社の一つであるUPI通信の東京支局に入社し、フォトジャーナリストとしてのスタートを切った。
 65年2月緊迫した状況の続くベトナムに自費取材を敢行し、7月にはUPIサイゴン支局特派員に任命され本格的に取材活動を開始。同年9月南部海岸地域のクイニョン市北方ロクチュン村で撮影された「安全への逃避」は、この年の報道写真展グランプリ、およびUSカメラ賞、翌年のアメリカ海外記者クラブ賞、ピュリッツァー賞を受賞し、一躍沢田は国際的に知られる存在となった。戦火に見舞われた村から避難するために、首まで水に浸かりながら必死で河を渡ろうとする2組の母子を画面いっぱいにとらえたその写真は、戦争の切迫した惨状を伝えると同時に、写真家自身の人間そのものへの視線や弱者に対する篤実な心情を伝えるものとなっており、沢田の戦争写真の特質をあますところなく伝える代表作となっている。
 66年には、ひき続きベトナム戦争に材をとった「泥まみれの死」と「敵をつれて」が世界報道写真展ニュース部門で1位と2位を独占するなど精力的に活動を続け、つぎつぎに国際的な賞を受賞。68年9月UPI香港(ホンコン)支局写真部長として転任し、いったんはベトナム戦争から離れるものの、70年1月には再びサイゴン特派員となって前線に復帰した。8月からはプノンペン支局を拠点に戦火のおよんだカンボジアでの取材を開始したが、同年10月28日夕刻、UPIプノンペン支局長ジェシー・フランク・フロッシュ Jesse Frank Froschとともにプノンペン近郊で取材中、国道2号線において銃弾を浴び死亡。翌年、カンボジアでの一連の取材に対してロバート・キャパ賞が授与された。[河野通孝]
『『戦場――沢田教一写真集』(1971・毎日新聞社) ▽『泥まみれの死――沢田教一ベトナム写真集』(講談社文庫) ▽沢田教一写真、鍵和田良輔・豊崎博光編『サワダ――残された30,000枚のネガから 青森・ベトナム・カンボジア』(1990・くれせんと) ▽沢田サタ著『沢田教一――ベトナム戦争』(1989・くれせんと) ▽共同通信社編『戦場――二人のピュリツァー賞カメラマン 澤田教一・酒井淑夫写真集』(2002・共同通信社) ▽青木冨貴子著『ライカでグッドバイ――カメラマン沢田教一が撃たれた日』(文春文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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