精選版 日本国語大辞典 「河竹新七」の意味・読み・例文・類語
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歌舞伎作者。(1)初世(1747-95・延享4-寛政7) 本名竹三郎,俳号能進,別号能進斎。明和・安永・天明期(1764-89)に江戸で主として初世中村仲蔵のために世話物や浄瑠璃所作事を書いたが,経歴は明らかでない。常磐津の《垣衣恋写絵(しのぶぐさこいのうつしえ)》(荵売(しのぶうり))が有名。仲蔵の随筆《秀鶴日記》も彼の著といわれる。(2)2世 河竹黙阿弥の前名。(3)3世(1842-1901・天保13-明治34) 本名菊川金太郎,俳名是水,前名初世竹柴金作。江戸神田に生まれ浅草で奉公するうち黙阿弥の作に傾倒,石塚豊芥子の紹介でその門に入った。1857年(安政4)市村座で竹柴金作となり,72年(明治5)中村座立作者。84年引退した師の前名を継いで3世河竹新七となり,市村座・歌舞伎座の立作者をつとめた。脚色物に機知と趣向の才を生かし,洒脱と速筆でも知られた。代表作に《籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)》(1888年千歳座)はじめ《塩原多助一代記》《怪異談(かいだん)牡丹灯籠》《江戸育御祭佐七》など。
執筆者:河竹 登志夫
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歌舞伎(かぶき)作者。
(1746―95)中村座の座付作者として修業、一時頭取(とうどり)も勤めた。天明(てんめい)期(1781~89)の名優初世中村仲蔵について常磐津浄瑠璃(ときわずじょうるり)『垣衣恋写絵(しのぶぐさこいのうつしえ)』を書く。2、3年立(たて)作者を勤めたのち、劇界の表面から姿を消し、仲蔵にのみ作品を陰で提供した。仲蔵の姪(めい)婿ともいわれ、『秀鶴(しゅうかく)日記』をはじめとする仲蔵の有名な日記の代筆者ともいう。2世は河竹黙阿弥(もくあみ)の前名。2世福森久助も一時名のったが、代数に数えない。
[古井戸秀夫]
(1842―1901)黙阿弥の弟子。前名竹柴(たけしば)金作。1872年(明治5)に立作者となり、84年に師より3世を譲られる。5世尾上(おのえ)菊五郎のために執筆。『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのよいざめ)』『江戸育御祭佐七(えどそだちおまつりさしち)』などを残す。
[古井戸秀夫]
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