治五右衛門(12代目)
ジゴエモン
明治・大正期の蒔絵師
- 生年
- 慶応3年9月21日(1867年)
- 没年
- 大正7(1918)年12月5日
- 出身地
- 越中国(富山県)
- 本名
- 小原 治五右衛門
- 経歴
- 蒔絵師・11代目治五右衛門の長男に生まれる。家伝の秘法を修得し、明治34年のパリ万国博など内外の博覧会に出品した。初代から6代目までの密陀絵と比べて、7代目以後の作品は漆画と蒔絵を得意とし、特に軽粉を用いた白蒔絵は天下無類のものとして知られた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
治五右衛門(3代) じごえもん
1618-1699 江戸時代前期の蒔絵(まきえ)師。
元和(げんな)4年生まれ。塗師屋(ぬしや)又兵衛の孫。2代治五右衛門から漆絵,密陀絵法を伝授され,家伝の髹漆(きゅうしつ)法とあわせて,白漆蒔絵を創出し,城端(じょうはな)蒔絵の名をたかめた。その作品は加賀金沢藩主前田綱紀の「百工比照」におさめられた。元禄(げんろく)12年1月5日死去。82歳。越中(富山県)出身。姓は佐々木。名は信好。通称は別に徳左衛門。
治五右衛門(7代) じごえもん
1729-1805 江戸時代中期-後期の蒔絵(まきえ)師。
享保(きょうほう)14年生まれ。母方の叔父6代小原治五右衛門の養子となり,7代をつぐ。金沢藩の御用をつとめ,白蒔絵法による和風様式を完成させ,城端(じょうはな)蒔絵の隆盛期をきずく。余技として雛人形もつくり,俳諧(はいかい)にもすぐれた。文化2年9月13日死去。77歳。越中(富山県)出身。本姓は斎藤。名は林好(しげよし)。号は菊斉稀雄(きゆう)。
治五右衛門(4代) じごえもん
1645-1719 江戸時代前期-中期の蒔絵(まきえ)師。
正保(しょうほ)2年生まれ。3代治五右衛門の長男。元禄(げんろく)元年(1688)加賀(石川県)の清水柳景とともに塗師頭取となる。宝永年間に姓を佐々木から小原にあらためた。享保(きょうほう)4年10月8日死去。75歳。越中(富山県)出身。名は亮好(すけよし)。通称は別に理右衛門。
治五右衛門(8代) じごえもん
1764-1813 江戸時代中期-後期の蒔絵(まきえ)師。
宝暦14年2月2日生まれ。7代治五右衛門の次男。意匠,技術にすぐれ,先代とともに名工といわれた。書画,和歌,俳諧(はいかい)をたしなみ,天文学,オランダ語にも通じた。文化10年7月9日死去。50歳。越中(富山県)出身。姓は小原。名は宗好(むねよし)。号は一白。
治五右衛門(9代) じごえもん
1787-1859 江戸時代後期の蒔絵(まきえ)師。
天明7年5月24日生まれ。7代治五右衛門の4男。髹漆(きゅうしつ)の技にすぐれ,大胆な意匠を得意とした。鯰(なまず)の蒔絵「彩漆鯰模様手付盃盆」で有名。安政6年10月14日死去。73歳。越中(富山県)出身。姓は小原。名は房好(ふさよし)。号は雄蔵。
治五右衛門(初代) じごえもん
?-? 織豊-江戸時代前期の蒔絵(まきえ)師。
越中(富山県)城端(じょうはな)の人。天正(てんしょう)年間(1573-92)長崎で中国人から密陀僧(みつだそう)(一酸化鉛)による彩漆技法をならい,郷里にかえって城端蒔絵(治五右衛門塗)の基礎をきずいた。姓は畑。名は好永(よしなが)。
治五右衛門(12代) じごえもん
1867-1918 明治-大正時代の蒔絵(まきえ)師。
慶応3年9月21日生まれ。11代治五右衛門の長男。家伝の秘法を習得し,明治34年のパリ万国博など内外の博覧会に出品した。大正7年12月5日死去。52歳。越中(富山県)出身。姓は小原。号は白晁(はくちょう)。
治五右衛門(11代) じごえもん
1835-1879 幕末-明治時代の蒔絵(まきえ)師。
天保(てんぽう)6年8月15日生まれ。10代治五右衛門の長男。絵画にすぐれ,乾漆朱塗盃や精緻な蒔絵で知られた。明治12年7月17日死去。45歳。越中(富山県)出身。姓は小原。号は得賀。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
治五右衛門(9代目) (じごえもん)
生年月日:1787年5月24日
江戸時代後期の漆工
1859年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報