密陀絵(読み)ミツダエ

デジタル大辞泉 「密陀絵」の意味・読み・例文・類語

みつだ‐え〔‐ヱ〕【密×陀絵】

奈良時代に中国から伝来し、平安初期まで盛行した絵画の技法。また、その絵。
密陀の油で顔料を練って描いた一種の油絵。玉虫厨子たまむしのずしの絵などにみられる。油画ゆが
にかわに顔料をまぜて描いた上に密陀の油を塗って光沢を出した絵。正倉院御物などにみられる。油色ゆうしょく
[補説]密陀絵の語が用いられたのは近世になってからで、当時は漆器の装飾についていったが、明治以降は古代の遺品に適用されるようになった。

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精選版 日本国語大辞典 「密陀絵」の意味・読み・例文・類語

みつだ‐え‥ヱ【密陀絵】

  1. 〘 名詞 〙 荏油(えのあぶら)などに顔料を混ぜて描く一種の油絵。油の乾燥剤密陀僧を用いるところから名づけられたもの。この技法は中国から伝来し、古くは正倉院御物などに見られるが、近世になって漆器の装飾に盛んに用いられ、密陀僧塗・唐油蒔絵と呼ばれた。

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改訂新版 世界大百科事典 「密陀絵」の意味・わかりやすい解説

密陀絵 (みつだえ)

エゴマから採取する荏油(えのあぶら),桐油(きりあぶら)などに乾燥剤として密陀僧(酸化鉛(Ⅱ) PbO)をまぜて煮つめ,それに顔料を混和して描く一種の油絵。文献では,万治3年(1660)の《武陵雑筆》に〈密陀僧塗〉,宝暦3年(1753)の《東照宮御結構書》に〈唐油蒔絵〉とあるが,それ以前の呼称は定かでない。〈密陀絵〉の呼称は明治時代以後であろう。中国で古くから行われ,馬王堆漢墓出土の朱地及黒地彩絵棺は明らかにこの技法を示し,彩絵からは油分が滴っている。《髹漆録(きゆうしつろく)》にも〈油飾〉の項があり,明代の技法が知られる。朝鮮金鈴塚からも新羅時代の密陀絵遺品が出土している。日本における古代の遺例は法隆寺釈迦三尊台座(623)や《玉虫厨子》である。両者の絵は密陀絵か漆絵か議論があるが,朱黄緑色の筆致には粘りがあるという。朱を除き,これらの色は当時漆で発色させるのは不可能と思われる。また古代絵画の材質の判別に紫外線照射が利用されるが,紫外線で油は黄色に発光し,漆は発光せず,膠(にかわ)は青白く,ラックは橙色に発光する。《玉虫厨子》では文様部の朱は発光しないが黄緑は黄色の発光があり密陀絵に有利な結果が出た。ただ,地は全面発光することから後年油引きされたとも考えられ,新たな判断が求められている。正倉院には多数の密陀絵系の遺品が遺され,東大寺にも花鳥彩絵油色箱があるが,奈良時代の技法は一様でなく,油と顔料で描いたもののほかに,膠彩色の上にのみ油を塗ったもの,膠彩色をして全面に油を塗ったものがあり,これらを〈油色(ゆうしよく)〉として区別する。油色は油の色を通して文様を観賞するもので,タイマイ(玳瑁),水晶,コハク(琥珀)による伏彩色と同様に奈良時代に好まれた。

 平安時代以後密陀絵は急速に衰え,桐竹蒔絵瓶子(手向山神社)の鳳凰文などがあるにすぎず,中世の例も稀有である。しかし近世になってもてはやされ,慶長13年(1608)銘の花蝶密陀絵行厨(大竜院)などがあり,18世紀には安手の盆膳,重箱などの加飾に広く用いられた。日光東照宮陽明門両外壁の狩野英信筆〈花鳥画〉(1752)や青森県にある津軽為信霊屋(1805)〈草花図〉の制作は民間での密陀絵流行と関係があろう。産業としては城端(じようはな)蒔絵があり,琉球漆器にも作品が多い。江戸時代の技法としては司馬江漢乾性油製法,日光に伝わる方法などが知られ,後者は〈桐油70%,荏油30%,そこに密陀僧,トウガラシ,松脂樟脳,膠を加え,鉄鍋で12時間前後煮る〉とする。実際は桐油のみを7時間前後180℃に保つと乾性油となり,膠を入れると描きやすくなる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「密陀絵」の意味・わかりやすい解説

密陀絵
みつだえ

日本の古代絵画などに用いられた技法。密陀僧(酸化鉛)を加えて乾燥性を高めた油で顔料(がんりょう)を練って描いた絵(油画(ゆが))。さらに、普通の絵の表面にこのような油をかけて光沢を出した絵(膠画(にかわえ))もさす。これらの技法は早く中国からわが国に伝わり、ともに奈良時代から平安初期まで用いられた。また後者の技法は鎌倉・室町時代にもみられる。近世に入り明(みん)代の新技法が輸入されると、漆では発色できない白などの鮮明な色調が珍重され、漆器の装飾に多用された。遺品には「玉虫厨子(たまむしずし)」(法隆寺)や、正倉院の琵琶(びわ)・阮咸(げんかん)の捍撥(かんばち)画などがある。なお、密陀絵の語が用いられたのは近世以降である。

[加藤悦子]

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百科事典マイペディア 「密陀絵」の意味・わかりやすい解説

密陀絵【みつだえ】

東洋で行われた油絵の一種。油に密陀僧(一酸化鉛)を加えて煮沸した密陀油に顔料を混ぜて描いたもの。中国では唐代から行われたが,日本には室町時代に伝えられ桃山〜江戸時代に多く作られた。城端(じょうはな)塗は密陀絵の一種。なお玉虫厨子の絵は密陀絵といわれるが明らかでない。
→関連項目密陀僧

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「密陀絵」の意味・わかりやすい解説

密陀絵
みつだえ

油絵の一種。荏胡麻 (えごま) の油に少量の密陀僧 (一酸化鉛) を混ぜて加熱した密陀油で顔料を溶き,各種の絵や文様を描いたもの。被覆力が強く,漆では発色不可能な白色などをつくることができるのが特色。中国では唐代からこの技法が行われ,日本では古くは正倉院宝物中に木製密陀絵盆や箱の類がみられる。中世にはこの技法は絶えていたが,安土桃山時代頃から復活,漆工芸と併用された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「密陀絵」の解説

密陀絵
みつだえ

古代の油絵の一種。顔料の媒剤として膠(にかわ)や漆ではなく,油の乾燥性を高めるために密陀僧(一酸化鉛)を加えて加熱した植物油を用いる。膠を用いた絵画の上全体に油を塗って光沢を出した絵も密陀絵とよぶ。玉虫厨子は前者にあたるが,正倉院宝物中には両様ある。また漆絵と併用することもある。江戸末期につけられた呼称という。

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旺文社日本史事典 三訂版 「密陀絵」の解説

密陀絵
みつだえ

密陀僧 (みつだそう) (一酸化鉛)を用いて描かれた一種の油絵
この方法は中国では唐代から用いられ,日本でも奈良時代に伝えられ,正倉院に密陀絵盆などが遺存する。平安時代以後衰微し,桃山〜江戸時代に復興した。

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世界大百科事典(旧版)内の密陀絵の言及

【正倉院】より

…おもな遺品には金銀山水八卦背八角鏡,銀壺,銀薫炉,金銀花盤などがある。(2)漆工 漆に掃墨を入れた黒漆塗,蘇芳(すおう)で赤く染めた上に生漆を塗った赤漆(せきしつ),布裂を漆で塗りかためて成形した乾漆,皮を箱型に成形して漆でかためた漆皮(しつぴ),漆の上に金粉を蒔(ま)いて文様を表した末金鏤(まつきんる),金銀の薄板を文様に截(き)って胎の表面にはり,漆を塗ったあと文様を研いだり削ったりして出す平脱(へいだつ)(平文(ひようもん)),顔料で線描絵を施した密陀絵(みつだえ)などの技法が用いられた。遺品には漆胡瓶(しつこへい),金銀平脱皮箱,金銀平文琴,赤漆櫃,密陀絵盆などがある。…

【塗料】より

装飾古墳の横穴式石室の壁面に使用されている絵具の種類は赤,黒,青,黄,緑,白などの原色に限られており,中間色はみられない。 法隆寺金堂に安置された《玉虫厨子》の絵は密陀絵(みつだえ)と呼ばれ,これが漆絵であるか油性塗であるかは論争の対象となってきた。上塗が密陀油(密陀僧(一般化鉛)を加えて加熱した乾性油)であるとすれば,油性塗の世界最古の例である。…

※「密陀絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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